1987(昭和62)年、俵万智の歌集『サラダ記念日』が発刊された。

 

    「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

 これまで、あまり一般には知られていなかった嫌いのある「口語短歌」(これを機にライト・ヴァースの語が流布された)が注目されるきっかけとなった歌集だ。

 

 累計発行部数285万部と歌集としては異例のベストセラー。

 発刊日を1987年の7月6日だと勘違いしている向きもあるが、実際は、5月10日だった、という。

 

 俵万智は、1986年『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞した後の初歌集として、角川書店から発売するはずだったが、当時の角川春樹社長(俳人でもある)が、「俳句や短歌の短詩詩集は売れない」と反対し、河出書房新社にベストセラーをさらわれたという。

 

 しかし、この理由は少し違うような気がする。

 角川春樹氏の出獄後に、ある句会で話を聞いた印象では、おそらく「ライトヴァースでは売れない」という(理由)くらいのことではなかったのではないだろうか。

 その後、短歌界では、穂村弘、東直子などが出て来て、口語短歌(の愛好)は、若者層にも広がっているようだ。
 

 いっぽう、俳句の世界は、いぜん文語旧仮名が(排他的)主流の世界で、この山はなかなか動きそうにない。

 ご承知のように、「俳句」の世界では、近年、TV番組の『プレバト!』(俳句格付け)とそこでの先生の夏井いつきが著名になってきた。

 しかし、夏井氏も、俳句指南本(実践入門書)はともかく、朝日出版社から3冊出ている自身の句集は、そう売れてはいないようだ。

 そもそも、一般に句集は売れないのだ。

 例外的に、下記の、瀬戸内寂聴 第1句集『ひとり』(深夜叢書社、2017年)は、著者がいろいろな意味で有名だということも手伝い、そこそこ売れたようである。

 近年では、もっとも売れた句集ではないだろうか。

 

 この『ひとり』は瀬戸内寂聴(1922年生 -2021年没 )の第1句集だが、

 作者の本業は作家・僧侶であり、いわゆる俳人ではない。

 彼女は、本書で(俳壇でも最高位の女流俳人に贈られる)星野立子賞をとった。

 本書は、俵万智の歌集ほどの人気はなかったが、句集としては、そこそこ売れたらしい。

 

 なお、俳人の関悦史氏のブログで、この句集の15句選がなされているので、紹介しよう。 

 

   ――【十五句抄出】 瀬戸内寂聴句集『ひとり』 関悦史 より 引用

 

 小さき破戒ゆるされてゐる柚子湯かな

 柚子湯して逝きたるひとのみなやさし

 寂庵の男雛は黒き袍を召し

 氷柱燦爛(さんらん)訪ふ人もなき草の庵

 二河白道(にがびやくどう)駈け抜け往けば彼岸なり

 

子を捨てしわれに母の日喪のごとく

 秋時雨烏帽子に似たる墓幽か

 ひと言に傷つけられしからすうり

 仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな

 雪清浄奥嵯峨の山眠りけり

 

 小春なり廓は黄泉の町にして

 雛の間に集ひし人のみな逝ける

 独りとはかくもすがしき雪こんこん

 骨片を盗みし夢やもがり笛

 御山(おんやま)のひとりに深き花の闇

 

  古典的風情を漂わせた、愛憎の果ての無常観、尼僧の俳句、あるいは、女流作家の俳句、というだけでなく、有名人・瀬戸内寂聴の句だとの前提知識(寂聴氏の生きざまのことも)があったほうが印象が濃くなるのかもしれない。

  著名人の俳句は、そうじて俳句のことばの外部での与件による解釈=鑑賞に依存するむきが高いとも言えよう。

 

  さいごに一句を添えよう。

               鳥辺野に我身を捨つる五月闇  ひうち