私は漢和辞典『全訳・漢辞海』(三省堂、2000年刊)を愛用している。

 この漢和辞典は、2000年頃、俳句を始めたころ既に持っていた仕事用とは別に購入した。

 俳句もそうだが、法律の専門書編集ではいろいろ難字が出てくる。「欠缺(けんけつ)」とか「瑕疵(かし)」とか「出捐(しゅつえん)」とか…。

 

 当時の職場では、上司が、白川静先生の字書三部作『字統』・『字訓』・『字通』のうち『字通』を愛用していた。

 

 ところで、明治に作られた日本の民法や刑法などは戦後の法改正でも、文語・旧仮名(カナ)のままだった。そう、1990年頃までは、難語は現代語化されていなかったのだ。いまの法律は現代語化されているが、昔の判例や法令を読むときは、読み方と意味がわかっていないといけない。

 

 そういう意味では、俳句も同じかもしれない。

 昔の旧仮名文語俳句の読みや意味を読みとくには、古語や古い漢字を理解しておかなければならない。

 いまの俳句は、助詞の使い方などを、あえてずらしたり撹乱することがあるが、昔の俳句には、その感じ(ずらし・撹乱の意図)があまりない。

 

 おなじように、サザンオールスターズの桑田佳祐氏も、日本語の歌詞はかなり勢いや脚韻踏みだけで意味不明なものが多いが、英語詞の部分はスラングであってもネイティヴ・チェックを入れているらしく英文が意味不明になることがない。不思議なものだ。

 

 俳句も英訳されると「この英訳者はこういう読み=解釈をしたんだ」とわかる場合が多い。

 ロバート・キャンベル先生の『英訳:井上陽水歌詞集』や俳句の英訳などが好例だろう。

 

 俳句も、このように、詠みてと読み手の相互関係=作者と解釈者の関係で、同じようなところがある(言える)なあと・・・

 あらためて、俳句における 「作者」←→「作為」←→「作品」←→「読み手の解釈」問題 を考えてしまうのである。

 

  そこで一句。

          鶯にホーホケキョ~の意図を訊く  ひうち