作曲家・中村泰士(たいし)が、昨年12月に亡くなった。81歳だったそうだ。

その直後、なかにし礼も亡くなり、筒美、中村、なかにし、と奇しくも1967年あたりから職業作詞家、作曲家として活躍し始めた年齢も近いレコード大賞複数回受賞の3人が、2020年という年に亡くなったのは奇遇だといえる。

 

中村のことを調べる手はじめに、ウキペディアをのぞくと、まず検索者キーワードとして、

次のようなものが出てきた。

 

❶北酒場 ❷喝采 ❸佐川満男 ❹毎度おさわがせします 

❶~❸については、あとで触れるので省略する。

❹は、TVドラマに出ていたことでだろう。

 

関係人物検索として

①阿久悠 ②吉田旺 ③橋本淳 ④なかにし礼 ⇐ いずれも中村と組んでいた作詞家だ。

 

ちなみに、橋本淳とはサビ前の遅れた掛け合いで有名な「愛は傷つきやすく」で一緒になりチャート1位を獲得した。

作詞家の物語構築度係数でいうと、橋本淳は、30/100くらいだろうか。

わりと、解釈の隙間をつくる俳句的な作詞をする。

物語構築度係数とは、作詞家が、その詞に思入れをこめて自分のドラマ世界を(他者に複数の解釈を許さないほど)構築するかつての短歌的指向性をさす。

ただ、係数高低の評価には、一長一短あろう。

 

たとえば、吉田旺を90くらいとすると、阿久悠は70、なかにし礼は50 だろうか。で、橋本は30か?

個人的には、30~80程度を書き分けられる作家が好ましいと思う。

 

話がそれたが、もっともではあるが、売れ子の職業作曲家になった経歴・経過・きっかけは、同時代の作曲家にかんしては多く共通したものがあることがわかる。

1つは、元歌手、もう1つは、元ミュージシャン、3つ目は、歌手と知り合いの音楽好き、だろうか。、

 

中村は、1つめの元歌手だ。

おなじルーツでテイストの近い作曲家といえば、

まず、平尾昌晃 そして、三木たかし、浜圭介、あたりだろう。

演歌系も、ヤングポップス系も、得意ということでは、平尾昌晃似ということも言える。

中村、平尾、三木、浜、に共通しているのは、元歌手だったということだが、平尾をのぞけば、現役時代は売れなかった歌手だ。

平尾似ということで言えば、平尾は、60年初期に一世を風靡したロカビリー歌手だった。

 

中村も、内田裕也、佐川満男らとバンドを組んでボーカルをしていた。その後、美川鯛二(みかわ・たいじ)で、ロカビリー風のレコードを出した。いま直接音源を聞いていないので、確たることは言えないが、たしか、美樹克彦(「回転禁止の青春さ」)のような感じだったように思う。

 

中村を有名にしたのは、かつてのバンド仲間佐川満男の復活曲「今は幸せかい」(作詞・作曲1968年)を提供したことだ。

その後、「スタ誕」審査員時代に、桜田淳子の曲を阿久悠と一緒につくり有名になった。かなり多くの曲を書いている。

 

その後、ちあきなおみ「喝采」(作詞は吉田旺)、細川たかし「心のこり」「北酒場」(作詞はいずれもなかにし礼)。

 

かれの曲には、むかし歌った、ニール・セダカやプレスリーのテイストがある。それを和風にした感じと言えるかもしれない。

ちょうど、中国・台湾という本場の中華そばよりも、日本で独自に進化したラーメンのほうが美味しい、ということがある。

それと同じような作業を、中村なども指向して試みていたのではないかと推測する。

 

また、別途、三木たかし、浜圭介、や荒木とよひさなどについても、考えてみたい。