このところ、国会答弁で「学術会議の総合的・俯瞰的活動を確保するため」などど、「総合的」「俯瞰的」というわけのわからないごまかしのような言葉が、さも一応もっともらしい「回答」のように見えているが、どうなんだろう。
とくに「俯瞰的」という語は、官庁語ないし官僚文書用語として、どのような意味ないし役割を果たしているのか、考えてみた。
どうも「総合的」「俯瞰的」は、2つでセットの合意や合議内容を玉虫色にする用語らしい。
とくに「俯瞰的」は、通常は「全体を客観的に見渡して」くらいの意味だろう。
しかし、官庁では、それ以外に「偏向をしていないかどうかの観点から(これを判断して)」となるらしい。
要するに、今回の「総合的・俯瞰的」観点は、「推薦が全体として偏向していないか」の意味を持たせている。
これって、日本語の解釈の限界を超えているかも知れない、いわば解釈変更のような気がする。
「偏向していないかどうか」と言明するとき、その言明者の恣意的な判断がそこに介入していないということが必要になろう。
なんとなれば、日本学術会議法の趣旨(独立性)からも、監督者の恣意性を謙抑する趣旨だから、首相は推薦者の任命を否認することまでは出来す、「俯瞰的でない」場合は、理由をつけて自主的に再考してもらう、くらいが限度だろう。
この「俯瞰的」でない≒「偏向している」は、いずれどこかで出してくるかもしれない。
しかし、6名が偏向していると言うことは、命取りになるので、むずかしい問題だろう。
また、内閣府や内閣法制局の官僚が、このところ、紋切型のように言っている、
憲法15条の公務員の選定罷免権に触れ、「任命は形式的な発令行為」と発言はされているものの、「必ず推薦の通りに任命しなければならないとまでは言及されてない」「解釈変更はしていない」という言明はどうなんだろうか。
これは、どうも詭弁だな。
これについては、また考えてみたい。