鳥羽一郎 とば・いちろう 本名 木村嘉平 (きむら よしひら) は、1952年生まれ、出身地は、三重県鳥羽市石鏡町(いじかちょう) だ。現在ここには「兄弟船」の歌碑がたっている。漁業の盛んな町で漁師の父と海女の母の間に産まれる。
荒風にもまれ潮風に鍛えられながら幼少時代を過ごす。少年時代には、両親の手伝いをしながら、自慢ののどを慣らし歌手への夢を描く。10代で心身を海で鍛えることを決意し、遠洋漁船の船員としてパナマやインド洋までマグロやカツオを追った。
5年に及ぶ漁師生活では、「別れの一本杉」「なみだ船」など船村徹氏の作品を愛唱していた。その後、陸に戻り板前の修業をするが、歌手への思いは強くなり、歌手になるべく上京した弟・山川豊氏に触発され、27歳の時に上京。
憧れの船村徹氏の門を叩く。内弟子として3年間修行を積んだ後、出身地にちなんだ芸名が決まり、「兄弟船」でデビューを果たす。
デビュー曲の「兄弟船」の無骨さの魅力と、その歌のモチーフである、漁、漁師、船、海、兄弟、親子、などと苦労を支える絆をテーマに多くのヒット曲を残している。シングルCDのリリースは、現在までに100をこえている。
小生も鳥羽の「兄弟船」(星野・船村コンビ)は、これまでのブログでも、評価してきた。
しかし、鳥羽一郎の歌のベスト3位に上がっている「海の匂いのお母さん」は、なぜこれが、3位なのか、わからない。紅白で、山川豊とふたりで歌ったからだろうか。
Youtube でも、「泣ける!」というコメント書き込みがあったが、「兄弟船」の無骨な感じが、ここでは、よそよそしい親子関係をイメージさせる歌詞となってしまっている。この詞を書いた田村和男さんは、元船舶関係で働いていたらしいが、これでは、星野哲郎が泣くぜ~。
まあ、前置きはともかく、どこが変か、見てみようか。
★海の匂いのお母さん (1983年)
田村和男:作詞/ 船村徹:作曲 歌:鳥羽一郎
海の匂いがしみこんだ 太い毛糸のチャンチャンコ
背中をまるめて 牡蛎を打つ
母さん 母さん お元気ですか
案じております 兄貴とふたり
※母さん ゞ お元気ですか 案じております と
鳥羽に歌わせるにしては行儀良すぎる歌詞? で、「兄貴とふたり」という無骨なセリフが浮いてしまっている。残念だ。
「おふくろさんよ 元気だか 心配してる 兄貴もよ」とかならないでしょうかね!
牡蛎なんだから、広島弁を出そうよ。
※「兄弟船」の歌詞表現の
「たったひとりのおふくろさんに 楽な暮らしをさせたくて」と比べると、
歌に一昔前の昔かたぎの実感が出ない、と感じるのは私だけだろうか?
海が時化れば時化るほど 牡蛎はおししくなるという
母さん あなたの 口ぐせが 土鍋を囲めば 聞こえてきます
やさしい笑顔が浮かんできます
※もっと無骨に! 雰囲気がでないよ
遠く離れた 子どもらに
海の匂いを くれた母
※ここは「母」かよ!? 海よりも潮(しお)の匂いのほうがいいよね!
わたしは手紙は下手じゃけに
※ここではじめて広島弁? 「わたしは ⇒ わたしゃ」 だろうに
母さん 母さん 黙っていても 伝わりますとも あなたのこころ
※ここも 無骨にいこうよ
ちなみに、兄弟船 (1982年)の歌詞を見てみよう。
波の谷間に 命の花が ふたつ並んで 咲いている
兄弟船は 親父のかたみ 型は古いが しけにはつよい
おれと兄貴のヨ 夢の揺り籠さぁ
陸(おか)に上って 酒のむときは いつもはりあう 恋仇
けれども沖の 漁場に着けば やけに気の合う 兄弟鴎
力合わせてヨ 綱を巻きあげる
たったひとりの おふくろさんに 楽な暮らしを させたくて
兄弟船は 真冬の海へ 雪の簾を くぐって進む
熱いこの血はヨ おやじゆずりだぜぇ
※いやあ、やっぱ、「おやじ」「あにき」「おふくろ(さん)」など、無骨な言い回しが、いいよね。
演歌は、そこらへんが生命線だと思うぜ! そこんとこ ヨロシク~
【燧灘五郎】

