研ナオコは、ほんとに歌がうまいか?という疑問がよくあるらしい。

彼女のデビュー曲「大都会のやさぐれ女」から「二人でみる夢」(詞:阿久悠・曲:筒美京平黄金コンビ)「京都の女の子」「こんにち男の子」「うわさ男」「第三の女」(東宝レコード時代、研音所属、楽曲はおもに詞:阿久悠、曲:森田公一と一流だった) は、「東宝レコード時代の研ナオコの曲」と呼ばれ、ややアイドル歌謡POPといった感じで、歌は基本ができてうまい、という感じだった。

 

その後、キャニオンに移って、「ナオコ節」とも称される独特のアンニュイな歌声と歌唱法で、1970年代から1980年代中盤にかけて数々のヒット曲を世に送り出した。

代表曲には、「愚図」「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などが挙げられる。

しかし、東宝レコード時代に8枚出した曲は、あまり知られていない。

 

ちなみに、近田春夫は、「東宝レコード時代の研のほうがよかった」という(「愚図」や「かもめはかもめ」に比べてという趣旨)。他にもそうした意見が多いのは、なぜだろう。

一般には、東宝レコード時代の路線はダメだったという評価が一般的だ。

レコード会社をキャニオン、事務所を田辺エイジェンシーに変わって、楽曲が、阿木=宇崎、中島みゆき、などの路線が、彼女の「アンニュイ」「けだるい」歌唱を引き出したと見ている。

それと引き換えに、それまでの歌のうまさ(なんでもうまく歌える)を捨てて、歌唱とは曲のテイストの解釈なのだ、というある意味コペルニクス的転回を経た目覚めをしたのかもしれない。

そこをどう理解するかで批評のテイストもわかれる。

たとえば、このような評価が典型としてある。

  

 「研の歌を上手い下手で聴くのはナンセンスだ。彼女の魅力は『アンニュイ』さにあるからだ。ひたすらそれだけだ。これを理解できないと研ナオコはただの『下手な歌手』にしか聴こえない。

  研は幼稚園の頃から歌が好きで、特に美空ひばりや島倉千代子が大好きだった。

 田舎育ちで貧しかったが兄弟と仲良く歌ったりしてどんどん上達していく。

 小学校6年生頃からはのど自慢大会に出場するようになり、中学生時には準優勝に輝いたこともあった。その後上京し、アルバイトをしながら歌手を目指す。そして1年後に東宝レコード初の歌手としてデビューを飾った。

  研の歌はさらっと聞いてしまうと音程の不安定さだけが耳に残ってしまうので、ぜひ彼女の紡ぐ歌詞を一言一言じっくりと聴いていただきたい。特に研ナオコの30代までの音源をすすめる。」

 

この評は外れてはいないかもしれないが、分析視点に不満である。

東宝レコード時代とキャニオン時代の比較のうえに立っていない評だからだ。

近田春夫の東宝時代の研の過大評価も、あんがいそれと同根のものかもしれない、と思うのである。

 

良く聞き分けると、彼女の歌い方は、楽曲にあわせて、再解釈している歌唱法だということがわかる。一律に「アンニュイ」「けだるい」だけでなく、個別に歌い分けている。

たとえば、「夏をあきらめて」の「アンニュイ」は、「中島みゆき」の歌とはやや違い、音程やリズムを故意にかなりぶれぎみに歌うのだ。ここは、何回も聴き比べたので自信がある。

研の解釈をした歌を、聴き手が再解釈するという複雑な構造が、歌に深みを与えるのではないか、そう考える次第だ。

みなさんは、いかがでしょうか?

 

                                              【ひうちなだごろう】