作曲家:宮川 泰(みやがわ ひろし、1931- 2006年3月)はいわゆる和製ポップスの開拓者の一人であり、ザ・ピーナッツの育ての親として数々のヒット曲を輩出し、他歌手にも楽曲を提供するなど、日本ポップス界に大きな足跡を残した。
JAZZ感覚を生かした軽妙ながらインパクトのある「宮川節」と称される音楽は、時間の短いTV番組のオープニングなどにも重用された。
宮川は、土木技術者の父親の赴任先である北海道留萌市で出生。 生後、父親の異動に伴い幼いころより北海道紋別市鴻之舞・大分県日田市など全国を転校してきた。 大阪府立富田林高等学校を卒業。京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)を経て大阪学芸大学(現:大阪教育大学)音楽科を中退。 JAZZバンド「渡辺晋とシックス・ジョーズ」でピアニスト兼アレンジャーとして活躍。その後、独立して作曲家、編曲家となる。
そして、1963年に「恋のバカンス」で第5回日本レコード大賞編曲賞受賞。
1964年には、「ウナ・セラ・ディ東京」で第6回日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
1971年に沢田研二に書いた「君をのせて」で合歓ポピュラーフェスティバル'71川上賞を受賞した。
ーー (以上は、ウキペディアなどを参照した)
戦後日本のラテンムード歌謡の源流をたどってみると、この宮川泰作曲で、ザ・ピーナッツに提供した「ウナセラディ東京」(元タイトル「東京たそがれ」)が、戦後ラテンムード歌謡の嚆矢ではないかと思える。なお、宮川の音楽の基礎には、JAZZがある。この「ウナセラディ東京」も、軽いラテンJAZZである。要するに、ラテンJAZZが、ブルースと融合して、ラテンムード歌謡が出来たように思われる。
ちなみに、ロス・インディオスの棚橋氏は、「すでにハワイアン歌謡で成功したマヒナスターズに対抗するためにラテン歌謡でいこうと考えた」という。
また、「ウナセラディ東京」は、イタリアの人気歌手・ミルバが来日したときに、気にいって歌い、それによって、イタリア語の「東京の一夜」という意味の「ウナ・セ・ラ・ディ トーキョー」となったともいう。
たしかに、イタリアもラテン語族でもあり、クレオール化して逆輸入されたラテン音楽の影響はあるが、イタリアの代表的歌謡のカンツオーネは、むしろ朗々とした感じが多い。
ただ、イタリアン・ツイストの名曲で、映画『太陽の下の18歳』のテーマである「ゴーカート・ツイスト」(ジャンニ・モランディ)は、そのハスキーでテンポがありながら哀愁もあるアルトサックスのような歌声とともに、その後の日本のラテン系ポップ歌謡(「よろしく哀愁」「横須賀スト―リー」など)に影響を与えたことから、イタリア経由でも日本のラテンムード歌謡が形成されたといえようか。
【燧灘五郎】

