カエル: ガマさん、ロックンロールの伝道者=内田裕也さんが亡くなりましたね。

ガマ : そうですね。まだ、80歳手前だったのにね。

 最近の姿は、なんだかマッド・サイエンティストっぽかったと思いますね。ロックンローラーなのか奇行なのかもわからないが、最後まで目立った人だったねえ、、、、。

カエル: ぼくは、内田裕也という名前を、GS末期の内田裕也とフラワーズで知りまして、その後は、かまやつひろし司会のバンド勝ち抜き合戦のようなTV番組の審査委員長のようなことをしていたような記憶が、、、、。

ガマ : そのまえのGSバンド発掘(タイガースなんか)あたりから、バンドのプロデューサーのようなことをやっていたが、僕は、彼のミュージシャンとしての実力は、歌のヘタウマ加減も手伝って、あまり評価していません。ただし、音楽プロデューサーとしては、フェスにバンドやひとを集めるようなカリスマ性があったと思います。ただ、そのカリスマ性が、どこから来たのかは、いろいろな見方があろうかと思います。

カエル: 僕は、裕也さんは、ギタリストだったのかと思いました。寺内タケシとブルージーンズに在籍したのも、ヴォーカルなんですね。

 ビートルズ来日時の前座も。尾藤イサオとのツインヴォーカルのレコードを聴いても、うまいあるいはグルーヴィとは思いません。ただ、ハイテンションな金切りシャウトで面白いとは思いますが、、、。

 ところで、巷間いわれるように、裕也さんは、歌謡曲嫌いだったんですかね? はっぴーえんどとの日本語ロック論争では、「英語でこそロックンロール」と主張したように、「日本語でのロック」や「歌謡曲風ロック」は、認めない、洋物かぶれ、だったのでしょうか?

ガマ : ぼくは、そうは思いませんね。たしかに、イギリスの新しいロック(ブリティッシュロックがハードでノイジィーになった時期)に、彼は、ヨーロッパ見聞の旅から帰国して、その熱の波を伝えようとしていたのではないかと思います。洋物かぶれは、致し方ない時期だったのだと思っていますね。

 その後、彼がリリースした「決めてやる今夜」や「俺は最低な奴さ」なんかは、硬派演歌っぽいところがあるように感じますね。

カエル: たしかに、そういうところがあるかもしれませんね。

 彼は、「シェケナ・ベイヴェイ~」「ロケンロール」という独自のへなへな発音で自分は「ロケンローラー」だと自負していました。

 ロカビリーからR&B、そしてロケンロールは、ハードで通俗性を超えるロックの影響を受け、FTB(フラワートラベリングバンド)の「サトリ1、2」(ジョー山中のハイトーンシャウトと東洋的というかエイジャンなメロディ)へと進みますが、そのことは、のちの世代へのインパクトがありましたね。

 前回もお話ししましたが、思春期の反抗的な感情のはけ口として、通過儀礼音楽としてのノイジィーさは、われわれの世代にはちょうどよかったのかもしれません。

ガマ : 裕也さんとのバンドでピアノを弾いていた近田春夫さんも、また、裕也さんに見いだされた矢沢永吉、桑名正博も、裕也さんの生き様の部分で影響を受けているのではないかと感じます。

カエル : そうですね。日本のロック界に影響を与えたという意味で、内田裕也は、まさに「日本ロックの伝道師」だったのですね。

 では、この続きはまた、ということで、、、。

 

                                                             【ひうち・なだ】