みなさんは、「琵琶湖周航の歌」をご存知だろうか?
加藤登紀子が、カバー「琵琶湖周航の歌」がある。琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われる、全6番からなる曲である。
この曲は1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられた。
1933年(昭和8年)に最初のレコーディングが行われた。第二次世界大戦後、多くの歌手によって歌われたが、特に1971年(昭和46年)に加藤登紀子がカバーしたレコードは大ヒットを記録した。
歌の舞台となった琵琶湖畔には、複数の歌碑も立っている。
これが引き金となったのか、森繫久彌の自作歌唱の「知床旅情」もリバイバルした、加藤登紀子も、それをカバーした。
この、大正ロマンの郷愁を誘うワルツは、パターン化されてはいるが、同じ柳の下に、何匹もどじょうがいるようだ。
ことほど左様に、われわれは、このワルツになぜが郷愁を感じてしまう。
この手の、どじょう曲で有名なのは、五木ひろしの「千曲川」(山口洋子:詞、猪俣公章;曲)や、伊藤咲子「乙女のワルツ」(阿久悠:詞、三木たかし:曲)などだ。
しかし、いずれも、根強く息長く歌われているという。
さらに、この事実上の元ネタだが、黒澤明の映画「生きる」で、志村喬が、ぶらんこにのってうたっていた唄、そう「命短し恋せよ乙女~」という「ゴンドラの唄」だといわれている。
「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。吉井勇作詞。中山晋平作曲。 である。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」のだという。
歌詞はアンデルセンの「即興詩人」(森鴎外訳)の一節を基にしているという。
この2曲より、「琵琶湖周航の歌」のほうが遅いから(ほとんど同時期だが)、元ネタは、案外「琵琶湖周航の歌」で、これが意外にもスコットランド民謡あたりから出ていそうな気がする。
「蛍の光」も「ダニーボーイ」も、なぜか懐かしくて郷愁を誘う曲だ。
しかし、ほんとうに、どの曲あたりがルーツなのだろうか? このところ、とても気になっている。
それで、さっそく、春で思い出しました。「早春賦」はどうでしょうか? 調べると、大正2年に発表、とあった。
また、「カチューシャの唄」は、大正3年発表だ。
『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。
楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。また、『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。
「早春賦」(そうしゅんふ)は、1913年(大正2年)に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。2006年から2007年にかけて文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている、 とのこと。大正2年が早春賦、大正3年がカチューシャの唄、大正4年にゴンドラの唄、大正6年に琵琶湖周航の歌 という大正一桁代に集中している。
それは、いわゆる大正浪漫ブームとの関係が強いと推測される。
1925年=大正14年の普通選挙法と治安維持法という飴と鞭へと時代が雪崩れて旋回する前夜だったのだ。
このメロディーは、各国の伝承音楽、民謡などをもとに独自に開発された音楽なのだろうか?
それは、中山晋平あたりをまた調べてみる必要がありそうだ。
いやあ~ この手の大正浪漫歌謡は、まだまだ、何匹も、どじょうがいるのではないか、と思う次第だ。
でも、すでに、氷川きよしなんかが歌っていそうだなあ。~~これも調べてみようか?
【ひうち・なだ】