凍蝿(いてばえ)よ生産性の我にあるや 東国原英夫
これは、TVプレバト2019年1月3日放送の優勝俳句だった。
いろいろ反響はあったが、以下の俵万智さんの感想が常道だろう。
生産性のあるなしを自分に問いかけなくてはならない…ことの虚しさが伝わってくる。さらにその奥には、生産性ってなんだ!という静かな怒りが滲んでいる。感銘を受けました。 (俵万智)
小生の感想をあえて付け加えて言えば、
批評を内面化して句にするという手法は、変化球としてはよくあるが、この句が手法としての月並化から免れているのは、「時代状況」をとらえたからだろうと思う。
さらに言えば、この「生産性」という語は、むしろ人間そのものの生産性=再生産性 という言葉の方が適切ではないかと思う。
問うべきは、少子化のなかで、再生産性より、個人の自由な生き方なのか、と。さらに、高齢化のなかで、個人の介護義務は、扶養義務は、社会に全部還元出来るのか? そのコスト分配は、その責任は、と問うほうが適切なような気がする。
この問いに対しても、自由な生き方を等しく最大限許容しあう寛容な社会にあっては、異論があってもまた困難でも、共生(共生存)する知恵は出てくるだろうということを、ひとまず暫定的感想として言っておきたい。
LGBTでもAセクシュアルでも、人間というものの再生産が可能である社会はもう来ている。
あとは、倫理感(観)の共有(共所有)の問題だと思われるが、いかがだろうか?
【ひうち・なだ】