攝津幸彦 それは、言葉のリズムと色彩が生み出す無意味の意味化幻想――快楽と諧謔の氾濫 だというのが、私の見立てだ。

 

言葉の手品師、だまし絵画家、言葉のトリッキーな音楽家、

攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 1996年10月13日)は、兵庫県養父郡八鹿町に生まれた。母良子(摂津よしこ)は桂信子主宰の「草苑」の幹部同人で、1980年の角川俳句賞受賞者でもあったという。

高槻中学校・高等学校を経て、関西学院大学卒業。高校時代より叔父の影響でジャズを聞くようになり頻繁にジャズ喫茶に通った。大学では在学中は映画研究会に所属。また伊丹啓子(「青玄」主幹伊丹三樹彦の娘)を知り「関学俳句会」創立、機関誌「あばんせ」を創刊。また学生俳句会のつながりで、他大学の坪内稔典澤好摩らと交流、大学を超えた同人誌「日時計」創刊に参加した。

1970年、広告会社の東京旭通信社(現・アサツー ディ・ケイ)に入社し上京。1972年田中資子と結婚。1974年大本善幸、坪内稔典らと「黄金海岸」創刊。1974年、「鳥子幻影」で俳句研究「第二回五十句競作」にて佳作第一席となり、編集長高柳重信に見出され一躍注目される。1980年、俳誌「」創刊に仁平勝らとともに参加。同誌は遅刊で知られたものの、前衛俳句の一大拠点となった。1992年より肝炎で入退院を繰り返し、1996年順天堂病院にて死去。享年49歳だった。

 

よく知られている句に、

南浦和のダリヤを仮のあはれとす(『烏子』)

幾千代も散るは美し明日は三越(同)

南国に死して御恩のみなみかぜ(同)

階段を濡らして昼が来てゐたり(『烏屋』)

露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな(『陸々集』)

などがある。俳句を意味の中だけで完結させることを嫌い、自立した言葉同士が邂逅することによって生まれる新しい叙情性を追及した。また明治・大正から戦前・昭和戦後の日本の原風景を素材としたものが多いとされ、特に「幾千代も」「南国に」の句が含まれる「皇国前衛歌」と呼ばれる一連の作品群は、言葉から出発して俳句におけるフィクション表現を完成したものとして評価されている(若干異論はあるが)。

おそらくは、これまで、攝津の俳句のリズムに着目したにもかかわらす、抒情の諧謔的表現の底にある思想性にまで着目されなかったのは残念だ。

「皇国前衛歌」は「広告全栄化」の掛詞でもあり、日本的浪漫主義への抒情的憧憬と諧謔(反撥)自虐(反省と省察)のもつれだろう。攝津の解釈には、そういった補助線が必要だと思う。

 テクストに;

『姉にアネモネ』1973年

『鳥子』1976年 ぬ書房

『鳥屋』1986年 冨岡書房

『陸々集』1992年 弘栄堂書店

『鹿々集』1995年 ふらんす堂

『攝津幸彦集』1994年 ふらんす堂

『攝津幸彦全句集』 1997年(2006年改版) 沖積社

がある。

 

参考文献;

攝津幸彦 『攝津幸彦選集』 邑書林、2006年

正木ゆう子、片山由美子、仙田洋子、大屋達治、筑紫磐井、仁平勝 『12の現代俳人論 下』 角川選書、2005年

齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年

仁平勝 『路地裏の散歩者』 邑書林、2014年

 

注1)筑紫磐井 「語録・文章・俳句から」 『攝津幸彦選集』 150-151頁

2) 筑紫磐井 「摂津幸彦」 『現代俳句ハンドブック』 51頁

3)  仁平勝 「攝津幸彦論」 『12の現代俳人論 下』 230-232頁

 

                                【ひうち・なだ】