高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1983年7月8日)。
本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らとともに「前衛俳句」の旗手となった、と言われている。
毎日新聞9月29日朝刊「季語刻刻」(坪内ねんてん)に、高柳重信(以下、重信)の大学生時代の句が紹介されていた。
「鱗雲少女は浜を馳けてくる」
駆けてくるではなく馳けてくるだ。少女はこちらへ向かっているのか? -- まだ多行書き(分かち書き)をしなかったころの句だ。
多行書きの代表句は、
身をそらす虹の
絶巓 (ぜってん)
(・・・・)
処刑台
重信の『蕗子』所収の代表作の1つである。
これらの重信が創案した表記スタイルは、「多行式俳句・多行形式俳句・多行俳句」などと呼ばれ、一行式の俳句と区別されて呼ばれている。しかも、この句のように、3行目が空白というのも、しばしば目にする。そもそも、重信の句は、横書きに馴染むものなのかどうかも定かではない。
重信がこのような表記スタイルの句を公表したのは、年譜によると昭和22年のことである。その前年の昭和21年には、桑原武夫の「第二芸術論」が公表され、それらの影響下にあった当時の、重信の独自の表記スタイルの創案なのだ。重信は何ゆえこのような表記スタイルをとったのだろうか、重信は数多くの俳論を公表しているので、重信自身、これらについて何処かで触れられているのかも知れない。
しかし、多行書き俳句は、その後定着していない。ただ、字間をあける手法は、かなりある。
「重信は一行式俳句の詠みの『切れ』の曖昧さを嫌って、その『切れ』の厳格さから、このような多行式のスタイルを取った」という説もあるが、どうだろうか。
以下の論評はどうだろうか?
「一行目(切る・間)、二行目(切る・間)、三行目(空白・切れ字)、四行目(切る・切れ字)」の、一行式俳句でいけば
「身をそらす虹の/絶巓//・・・/処刑台//」の二句一章体の、厳密な表記スタイルと思われるのである。
そして、この句の直截的な読みは、
「わたしは虹を見ている。その虹の半円形の絶巓に目が行った。そしたら、その絶巓から、何故かしらないけど、地上の処刑台が連想された」というのであろうか。と。
この読みは、おそらく違うと、わたしは思う。アキや多行の分かち書きの理由は、はたして「切れ」だけの問題なのか? 読む呼吸や視覚効果もあったのではないかと推察されよう。
この句についていえば、むしろ、情交のエクスタシー(いわゆるアクメ/オルガスムス)を詠んだエロティックな句なのではないかと思う。
ともかく、これが重信の多行式俳句なのであるが、シュールレアリスムの短詩に近いように思う。
また、重信は、「しょせん俳句の形式では、前衛的な文学はできません。通俗で月並みなものにならざるを得ないことを覚悟すべき」と言っていた。
そういえば、高浜虚子も、小説家になる夢が破れて、俳句に専念したという。
俳句とは、そんな、おちこぼれの自虐的な文芸なのかもしれない。
【ひうちくん】