いま「働き方改革」が叫ばれている。

これは「働かせ方改革」の側面が大きいように思うが、「働かせ方」と「働き方」が表裏になっていることに注意しておこう。

 

それで、その論点のひとつが「同一労働同一賃金」である。

これは、性別・雇用形態を問わずということである。

「同一労働同一賃金」は、正確には「同一価値労働同一賃金」である。「同一価値」の「労働」という尺度と「賃金」が相関するという理屈である。

 

よく考えればわかるように、「同一価値労働」の尺度やはかり方は、厳密には困難である。そのはかり方は、誰にゆだねられるのか?

まずは、使用者だろうが、それでは使用者の専断がまかり通ってしまう。

では、使用者の判断に、労働者は異議を申し立てられるのか?

それは制度設計として可能かもしれないが、その場合の挙証責任は誰にあるのだろうか?

だんだんと難しくなる。

そもそも、不平等とか不公平は主観的な要素が多い。「同一価値労働」といっても、Aが1時間で10の仕事を完璧にこなすのに対し、Bは1時間で5の仕事をミスばかりで終える、といった場合の比較は、まずだれが比較するかという問題、そして「同一価値労働」の意義の解釈権の所在がどこにあるかという問題が出てくる。

 

こうしてみると、巷間言われている「同一労働同一賃金」のスローガンは、穴だらけのように思えるが、いかがだろうか?

 

                                                          【ひうちくん】