「グッドラックアンドグッバイ」(ユーミン:荒井由実の時代、たしか「十四番目の月」に収録)と「駅」(竹内まりや)、というタイトルで、何を書こうとしているか。まず提示しよう。
①ひとつは、「昔の恋人との偶然すれ違いの再会をテーマに歌った歌」のテイストの違い、
②もうひとつは、「提供曲のセルフカバー」が「提供者の歌」と比べてどうか、
ということである。
①については、ユーミンのは、主人公は、20代後半~30代前半の女性、という感じで、ほろ苦いがほろ甘くもある、というトーン、かたや、竹内まりやの「駅」は、40歳前後=アラウンドフォーティの感じがする。
両者とも、詞が映像ドラマのようにディテールから紡ぎだしている感がある。
ユーミンのは、「懐かしい傷み」ないし「過去とウエットに向き合っていない(ドライでいられる年代の恋の回顧)」という感傷だが、まりやのは、「ウエットで、傷ないしスティグマとして残っている感じ」だ。--ユーミンの声は、甘くない、ドライで硬質だ(本質的に歌がうまくないーーのどチンコがないと本人が言っていた)が、
竹内まりやのほうは、声質が、甘いうえに、火曜サスペンスのエンディングテーマになったように、歌謡曲へ半歩踏み入れている。その原因は、ポップな声をウエットに歌うからだろうと思う。これ以上ウエットになったら、歌謡曲になるから協力しないと、プロデューサー山下達郎は言ったらしい。--なお、この「駅」の「私だけ愛してたことも」の解釈問題(私だけを、か、私だけが、か)があるが、全体を通して聴けば、「を」であることは気づくはず。フレーズの音数上「を」を省いたのだろう。
②だが、ユーミンの曲は、もともと岡崎友紀への提供曲だった。
岡崎のオリジナルバージョンには、最後のほうに、セリフがはいる。当時の岡崎のイメージにもよるが、おっちょこチョイな感じで受け止めると、なにか、感傷性が薄れてしまう。
なお、この曲(タイトルが長いので省く)は、桜田淳子などにも、カバーされている。歌としては、詞・曲・編曲にバランスがとれていると思う。
「駅」は、以前にも書いたが、を、か、が、かの解釈問題で、提供者の中森明菜が「が」と解釈したため、達郎が「だめだ」といったそうだが、楽曲提供はされている。
中森も、岩崎宏美も歌っているが、竹内には勝てていないと思う。
上で書いたように、竹内の声質=ポップな声質だが本質的にウエットなものをそなえているからだと思う。それは、「カムフラージュ」などにも言えると思う。--要は、声質だと。

