ルポライターだった、竹中 労 (たけなか・ろう)は、1928年 現・東京都新宿区で生まれ、1991年5月19日に亡くなった(満63歳没)。
職業は、ルポライターであり、自称アナキストとも言い、自称よろず評判家とも言っていた。
竹中は、多くのそして多様な本を書いているが、私は、『タレント帝国-芸能プロの内幕』(現代書房、1968年)と『エライ人を斬る』(三一書房、1971年)を読んだことがある。
なかでも、『タレント帝国~』は、1968年当時の時代状況も反映しているが、3つの暴露があり、書店からその姿を消し、まぼろしの本となった。
大学4年生の時(1976年頃)、ゼミの教授のK先生のお宅の書棚に、この本があった。先生に「この本はまぼろしの本ですよ。どうして先生が所蔵されているんですか?」とたずねたところ「竹中氏から献本された」と言っていた。芸能人と労働法について論文を書いたため、芸能評論家やマスコミ評論関係者から、次々献本がされるのだそうだ。そこで、先生に「この本を貸していただけないでしょうか?」とたずねると「読まないから、あげるよ」と言われ、もらって帰った。
読んでみて、当時、本書が書店から消えた(買い占めで回収された?)原因の ❶は、ナベプロの裏実態(芸能界支配)を書いたこと。
原因❷は、当時の(初代)ジャニーズ裁判が詳しく書かれていること、当然被告のジャニー喜多川氏の性癖・(タレントへの)性加害にも触れていた。
原因❸は、芸能界の「自衛隊友の会」のリストを掲載したこと、だと思われる。
原因❶、❷は、わりと周知のことだったが、原因❸は、「おやっと」思った。そのリストには、いまや、憲法9条の会で活躍している芸能人もたくさん名を連ねていた。その背景には、名前を出さないと干されるという圧力が政治筋から芸能プロダクションにあったのだろう。1960年代は、安保反対闘争があり、また、自衛隊違憲裁判もあった。いつのまにか婚外子として生まれた自衛隊を、どうしても、認知させる必要があったのだろう。
巷間、とくに原因❷が、本が書店から消えた原因だと言われたが、私は、原因❸が大きかったのではないかと推測する。
※追記: その後、2023年5月のジャニー喜多川氏とジャニーズ事務所をめぐる問題に接して、ネット、SNSなどがない1968年では、原因❷こそ、当時隠さなければいけないスキャンダルだったのかも知れないと思う次第だ。
竹中の人生は、下記のように、破天荒を地でいくようなものだった。
1947年に、日本共産党に入党。その後、山谷や横浜に住み込み肉体労働に従事する。各地で労働組合活動に取り組み、何度も逮捕される。
1952年 に、甲府刑務所に収監される。日本共産党からは党員資格を剥奪される。
1953年には、釈放された後に、芸能を通した活動に目覚める。
1959年には、「ルポライター」を名乗り、「女性自身」のライターとなる。
1961年、党の内部変革を図り日本共産党に復党。
1965年ごろから「世界革命」を志し、アジア各地や、キューバ、韓国、パレスチナなどをたびたび訪れる。
1966年 「東映俳優労働組合争議」を支援。
1967年 映画「祇園祭」の制作をめぐり、日本共産党京都府委員会と対立して、党を除名になる。
1968年には、山谷解放闘争を支援。『タレント帝国』で渡辺プロダクションのテレビ界の支配を告発(原因❶だけではない)。この本が、書店から消える。
1969年、はじめて沖縄へ渡り、琉球独立党を支援する。また、多くの島唄のミュージシャンたちと交流し、イベントの構成を行う。
同年、『週刊明星』連載の「書かれざる美空ひばり」における「ひばりの歌声は差別の土壌から生まれて下層社会に共鳴の音波を広げたこと、あたかもそれは、世阿弥、出雲のお国が賎民階級から身を起こした河原者の系譜をほうふつとさせる。……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」との文言が部落解放同盟に問題視され、糾弾される。
この糾弾内容に激怒した竹中は、部落解放同盟に血闘を申し込んだと言われている。
1973年には、平岡正明との共著『水滸伝』を刊行。平岡、太田竜と窮民革命論を唱え、“新左翼三バカトリオ”と呼ばれたこともある。
その他、五木ひろし、八代亜紀らを輩出した勝ち抜き形式の歌謡番組『全日本歌謡選手権』で審査員をして活躍した。
まあしかし、残念だが、いまや、竹中労のような型破りで無節操という節操をもったカウンター・カルチャー思想の批評家は出てこない時代になったのかもしれない。
*追記: なお、最近、本書の復刻版が、あけび書房から出ているらしい。
そこで一句。
革命は無節操にもハローウィン ひうち