八月になると、毎年「戦争」というものを考えさせられる。今年は、「戦場における友敵関係」という主題がわたしの脳裡を過ぎった。

 ジョン・ウー監督/ニコラス・ケイジ主演の戦争映画『ウインド・トーカーズ』は、戦闘シーンの長さが息苦しく、結構こたえるつらい映画ではあるが、近年DVDで観た戦争映画としては、いろいろ考えさせられるところの多い映画ではないかと思う。

 この映画は「戦場での人種をこえた友情」がメインテーマなのだろうか?私には、もっと奥深いもの、わたし流に解釈すれば(ジョン・ウーの意図はともかく)、「もし戦場において倫理的であるということを求めようとすると、最終的に、殺すべき敵と守るべき味方の違いがわからなくなる。つまり、自分が何ものであるのかがわからなくなる」という「アイデンティティの錯乱」がメインテーマ(あるいは隠れたテーマ)であると考えてみた。

 この映画の息苦しさは、三〇年ほど前、まだ左京区一乗寺に邦画専門館の京一会館があった頃、アニメ『機動戦士ガンダム』三部作をオールナイト上映で観たときの息苦しさに通じるものがある。なぜ、息苦しかったのか、それは、主人公のアムロ・レイ(ニュータイプといわれる人間のひとり)が「なんのために戦っているのかよくわからないのに、ガンダムを使って戦う才能は(ニュータイプだから)天才的である」、敵の指揮官「赤い彗星シャー」は、同じ宇宙船の女性乗組員の兄である。その戦いのジレンマの果てに、「なぜ敵と味方にわかれて戦わなければならないのかがわからなくなり、ついには、自分がなにものであるのかがわからなくなる」という「苦悩=アイデンティティの錯乱」に気持ちがシンクロしたせいかも知れない。

 戦後(その間戦争がなかったとする時代)七二年目にあたって思うのだが、戦争というものを、ある一面からのみ総括するのではなく、さまざまなひとがそれぞれの立場や思いで振返り省察するという、その多様性を認め合うことも大切なのではないだろうか。

 *息苦し生き苦しくて冬蛍   三人水