名建築シリーズ66
新潟市美術館
℡)025‐223-1622
往訪日:2024年3月15日
所在地:新潟市中央区西大畑町5191-9
開館:9時30分~18時(月曜休館)
常設:一般200円 高大生150円 小中生100円
アクセス:磐越道・新潟中央ICから25分
駐車場:25台(無料)
■設計:前川國男
■施工:加賀田組・福田組JV
■竣工:1985年
※内部撮影OKです
《前川の残した置き土産》
(文中一部写真資料を拝借しました)
ひつぞうです。三月中旬に新潟まで温泉旅に出かけました。温泉に登山と何度訪れたかしれませんが、建築と美術館に関しては穴だらけ。まずは建築散歩からスタートです。
★ ★ ★
尊敬するモダニズム建築の泰斗、前川國男(1905-1986)。最晩年の作品が新潟市にあると知ったのは最近のことだった。東京人と思っていた前川だが実は新潟市生まれ。内務省土木技師で信濃川治水事業に携わっていた父・貫一と新潟高女の一期生だった母・菊枝が出逢った場所だった。
美術館は旧市街の外れにあった。新潟刑務所の跡地にあたり、道を挟んだ向かいの西大畑公園も同じ前川の設計である(撮影し損ねた)。
ロゴも見落とさないように。グラフィックデザイナー服部一成のデザイン。
敷地内にはパブリックアートが六体ある。まずはそちらから。
「盛りだくさんね」 相変わらず
建畠覚造《WAVING FIGURE》(1985)
建畠覚造(1919-2006)は東京生まれの彫刻家。東京美術学校卒。ヘンリー・ムーアの影響を受けて抽象彫刻の道に進む。コンクリート、ステンレス、アルミニウムなど無機質な素材を用いて有機的かつ動的な立体作品を残した。ちなみに父君は偉大なる近代彫刻の父・建畠大夢(1880-1942)。
国立近代美術館所蔵の《ながれ》(1911)が有名だ。親子でここまで作風が違うのも珍しい。
建物も地面も色違いのタイル。後期特有のスタイル。
美術館にはふたつの庭がある。手前に四角い池を配置した海の庭。
型枠の木目を生かした打ちっ放しコンクリート。神奈川県立音楽堂など初期から続く意匠。柱のアール処理も同様だ。
これも前川建築の特徴である打ち込みタイル。予めタイルを型枠にセットしてモルタルを打設する。タイル表面の孔は外型枠にタイルをセットするためのもの。不具合ではない(笑)。注目したいのはそのオリーブグリーン。先行作例を見ると…
(参考資料)
東京都美術館(1975年)
福岡市美術館(1979年)
他にも埼玉会館、熊本県立美術館など赤褐色が主体。なのに新潟市美術館はオリーブグリーン。答えは赤煉瓦の旧刑務所のイメージを払拭するためだとか。
ぼちぼちパブリックアートも観ていこう。
一色邦彦《炎翔》(1994)
一色邦彦(1935-2022)。東京都出身の彫刻家。東京藝大彫刻科卒。東洋的な風貌と長く伸びた肢体。繊細で飛翔志向のモチーフが多い一色の作品の中でもとりわけイメージが顕著。水盤のうえにあってこそ作品のイメージが燃えあがるのだが。最近はどこのパブリックスペースも水を抜いてしまって味気ない。一方で年間500万㌧あまりの残飯が廃棄されている。水の予算くらいなんとかならないのか。
「とヒツジが文句をいう」
峯田義郎《部屋の中の午後(一人)》(1988)
峯田義郎(1937-)。山形出身の具象彫刻家。東北芸術工科大卒。つるりとした金属と祖型としての粘土の質感を同時に表現しつつ、孤独や幸福などを表現に込め、今を生きる人間の姿を時にユーモラスに時にリリカルに歌い上げる。この作品もつい傍に寄り添いたくなるような孤独な作品。
小田襄《翼のある円柱》(1986)
小田襄(1936-2004)。東京都出身の彫刻家・版画家。東京藝大彫刻科卒。60年に若林奮、高松次郎等と20代作家集団を結成。金属に鏡面を採用した抽象彫刻で国際的な人気を博した。実はここに僕も映っているのだが(それが作家の計算なのだろう)まるで存在しないかのようだ。
渡邊利馗《旱(ひでり)》(1994)
渡邊利馗(1925-2006)。神奈川県出身。東京美術学校卒。長く新潟大学で教鞭をとった。この作品はカエルがモチーフ。側面から見ていると言えば判るかな?
裏庭に回ってみる。まだ何かあるはず。
曲線が美しい。1994年に増築された常設展示室だね。
最上壽之(もがみ ひさゆき)《ツイツイ フラフラ オンブニダッコ》(1994)
最上壽之(1936-2018)。横須賀出身。東京藝大彫刻科卒。木、石、金属を用いた抽象彫刻を残した。横浜市民として一番馴染み深いのは《モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー》かな。
(参考資料)
(ネットより拝借いたしました)
「これきゃー」 みなとみらいの!
いずれも抽象作品だが、どこか人間くさい動きと温かみを感じさせる。
入れるのはここ山の庭まで。落葉したブナの樹は前川自身が選んだ株。当時は人間の背丈より低かったそうだ。ということでパブリックアート鑑賞は終了。
表玄関から内部へ。斜に構えた風除室は冬の風物詩かまくらを模したそうだ。
形と色違いの化粧タイル。入館した途端に前川ワールドが始まる。
総ガラス張り。ル・コルビュジエやレーモンドの影響を受けた50年代までが機能的な平面構造だったのに対して、66年の埼玉会館あたりから打ち込みタイルやガラスの採用が顕著になる。
中央の間接照明に注目。なんとなく教会っぽくない?
「タイルの敷き方にもこだわりを感じる」
天井のライトの点き方も意味があるんだろうね。
「ただの節電じゃね?」
やっぱり?
ベンチのカラーリングもいつものモンドリアン風。
化粧タイルが綺麗。
常設展示室まで緩いスロープが続く。
この床のタイル。実は学芸員泣かせらしい。
「どして?」
絵画などの移送中にカートが目地を踏むと結構ガタゴト揺れるそうだ(笑)。
常設展示室はご覧のとおり。冥途の前川先生、気に入ってくれているかな?
踊場の隅角もアール構造。圧迫感を打ち消す工夫ですね。
二階の閲覧室。椅子や電気スタンドのデザインも凝っている。
敷きつめたタイルが織物のようだ。
天井の防音板も美しくデザイン。ライトのリングもペールブルーで統一している。こだわるねー。
窓枠のアールも見事。最後の最後までこだわりのひとだった。生涯にわたって設計コンペに挑戦し続けた前川。最後のワークは六名で競われ、見事栄冠を勝ち取った。それが出生の地、新潟だったことに縁を感じた。
(絵画篇につづく)
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