佐川町立 佐川地質館
℡)0889‐22‐5500
往訪日:2023年11月25日
所在地:高知県高岡郡佐川町甲360番地
開館時間:9時~17時(月曜休館)
見学料:一般300円 小中高生100円
アクセス:高知市内から車で50分
駐車場:無料(25台)
《町立とはいえ建物は立派!》
ひつぞうです。高知旅行三日目は佐川町を訪ねました。佐川といえば司牡丹。云わずと知れた酒蔵の町。そもそもの目的はそれでした。ところが《佐川地質館》の案内が眼に入った途端、真っ先に訪ねたくなったのです。以下、往訪記です。
「好きにしてちょ」 言っても聞かんし
★ ★ ★
佐川は植物学者・牧野富太郎生誕の地でもある。むしろ今の高知はそれ一色。しかし、それありきの旅などしたくない。ゆかりの地は世間の熱が覚めた頃に訪ねればいい。それにここは亡きサルパパの生まれ故郷。おサル一族の血脈を育んだ風土をこの眼で確かめたい。そんな想いのほうが強かった。
国道33号から脇に逸れた場所に建物はあった。旧市街からやや東に外れたその一画は、公共施設が集まる“新開地”なのだろう。調べてみると設立は1991(平成3)年8月。竹下内閣が推し進めたふるさと創生事業の一環として建設された。
時刻はちょうど開館の10時。客は誰もいなかった。
動く恐竜のロボットがお出迎え。これ、群馬の神流町恐竜センターのモデルに酷似している。調べてみるとやはり同じ会社の製作で、㈱ココロという東京の会社だった。驚いたことに、国内の博物館のほぼ100%のロボットがこの会社の納品だった。
「調べるヒツジもかなりマニアックだよ」
気になるとどうしても調べたくなるのよね。
【館内図】
※ネットから拝借いたしました。
ジオファンタジックルームは地球のなりたちを紹介するキッズコーナー。特別展示室では《牧野博士と佐川の地質》が開催中だった。やはり朝ドラの影響からは逃れられなかった(笑)。
実は地味ながら佐川町は複雑に地層が入り組む地質学的に興味深い土地柄で、昔から化石の宝庫として知られる。好奇心の塊りだった牧野少年は、植物はもちろん、化石採集にも鋭意取り組んだそうだ。
佐川町の東に隣接する日高村にはかつて蛇紋岩鉱山が栄えていた。製鉄の添加剤として利用するためだ。その後、製鋼技術が発達し、コスト的に採算が合わなくなり、用途は失われて廃鉱になっている。僕ら登山愛好家には“植物にとって毒性の強い岩質”として知られるね。
「あととっても滑りやすい」 至仏山とか
二酸化ケイ素を多く含むからガラス質になるんだよね。
西佐川駅の北側に位置する貝石山は、上部を白亜紀、下部をジュラ紀の地層が構成する。そのため貝や植物の化石が豊富に産出するそうだ。全部佐川町で採れたんだね。羨ましいよ。
「ジミな貝殻ばっかりじゃん」
いやいや。貝の化石は奥が深いんだ。
「ふーん」 おサルはリアルな赤貝がいい
ここでふと、ある思い出が脳裏に浮かんだ。
小学生の頃、同級生と二人、福岡県の姪浜海岸に化石採集に出かけたことがあった。発端は転校したばかりの彼が見せてくれた二枚貝の化石だった。拳大の粒の粗い砂岩の塊りのなかに、見事なサルボウ貝の祖先が、その形を主張していた。周囲はどよめき、採集場所を訊く者が数名現れた。彼は得意そうに姪浜の名をあげる。海のない土地に暮らす僕らに、それは最果ての地に思われた。週末遠征しようという声が上がるのにたいした時間は要らなかった。
そして、数日がたった。熱病が覚めるように、賛同者はひとり減り、ふたり減りして、結局、当日浜に向かったのは彼と僕の二人だった。彼にはそれで十分だったのだろう。貝の化石は新しい環境に受け入れてもらうための小道具に過ぎなかった。僕ら二人は半日を費やし、市電を乗り継いで海岸に到着した。砂浜と護岸の多い博多湾にあって、そこだけ取り残されたかのような黄褐色の磯の崖があった。岩を攀じるがなかなか見つからない。数時間かけて見つけたのは、シジミ貝の破片ふたつ。そのみすぼらしい戦利品を手に、僕は彼と帰りの電車に乗った。
乗り換えの室見駅に着いたとき、彼は突然「前の学校に寄りたい」と言い出した。転出元の校舎はすぐそこだった。不承不承つき従い、ネット越しに校庭を見いる彼に並ぶ。そのうち学童数名が彼の存在に気づき、わらわらと寄ってくる。遠い町に旅立ったはずの級友の不意の“帰還”に驚き、囃し立てた。彼は申し訳なさそうに僕の顔に眼を呉れると「ちょっと遊んで帰る」と言い残して、学童の輪の中に消えていった。
僕の自然科学への熱狂の裏には、常に苦い敗北の記憶がある。
「気がすんだ?」 ノスタルジジイよ
はい。
郷土の研究家・溝渕英治氏が採集した大正年間の標本だ。
この化石一個一個に特別珍しさは感じない。情報が限られた時代に、標本を蒐集し、整理分類し、そしてラベルを手書きで作成した、過去の同好の士の熱意に共感した。
松ぼっくりの形をしたものはウニ(フィルマキダリス)の棘の化石。佐川で算出するジュラ紀の鳥の巣石灰岩に多く含まれる。泥質物を多く含むのでハンマーでたたくと原油の匂いがするそうだ。
「新潟の地質みたいだ」
この先は研究史コーナー。外国産の化石中心。過去にも余所で観たものは割愛。気になる標本だけ備忘録。
南オーストラリアで見つかった謎の生物・ディッキンソニア。外骨格を持たない生物が化石になることがまず不思議。
シナノバクテリアが造った縞状鉄鉱だ。美しい標本だね。
ネレイテス。パッと見、生物の化石ようだが、これはその這った痕。つまり生痕化石。
パレオディクチオン。これも珍しい。珊瑚のようだが、これも生痕化石。詳しいことは判っていない。
四万十帯発見の鍵となった室戸岬の様々な地形。
完全な互層構造にならなかった地形で、泥に砂が沈み込んだ構造をコンボリューションという。
「もうよい」
では最後の主展示室へ。
化石で生物の進化の歴史を紹介。
仁淀川が運ぶ五色石。
石の産地を詳しく紹介。
「楽しい?」
うん。すっごく♪
昭和感あふれる展示が好き。四万十帯が日本列島を東西に繋ぐ地層だと判明したのはついこの間のことだったんだね。裏付けとなったのは放散虫の化石と生痕化石、そして、堆積構造。岩石の分布だけでは決め手にならなかったのか。
カラーの部分が佐川町。矢印の方向(南側)からプレートの圧力が伝わって北へと異なる地層が圧縮される様子が判るね。色の違いが地質の違い。基本的に付加体だけど、濃い藍色の斑点は石灰岩だ。
「楽しいかね?」 サルはさっぱり
ゴンドワナ大陸の模型。昭和感漂うね。たぶんこれも㈱ココロ製。
「動かないね」
ジッと待っているんだけどね。
人類に叛乱を起こしたHAL9000を思い出した。
「判らん譬えだな」
キューブリック。知らない?
中庭には手作り感満載の人工洞窟などが設えてあった。古びてしまい、誰にも相手にされなくなった場すえの遊具のような侘しさが漂っていたが、当時の役場職員の奮闘ぶりが伝わってきて、昭和の生まれとしては嫌いではなかった。結局来場者は現れなかったが、これからも続いて欲しい。展示されている資料はピカイチだから。
「ピカイチっていう?」 死語だよ
こんな調子だ。僕は誰からも理解されない(笑)。
(まだまだ旅はつづく)
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