磐梯山噴火記念館
℡)0241‐32‐2888
往訪日:2023年9月2日
所在地:福島県耶麻郡北塩原村桧原字剣ヶ峯1092‐36
拝観時間:(年中無休)
夏季:8時~17時
冬季:9時~16時
拝観料:一般600円 中高生500円 小学生400円
アクセス:磐越道・猪苗代磐梯高原ICから30分
駐車場:約50台
《地学マニアの殿堂》
ひつぞうです。ホテリ・アアルトを辞した後、訪れたい複数候補の中から選んだのは磐梯山噴火記念館でした。1888(明治21)年の大噴火と裏磐梯の自然を紹介する資料館として、噴火百年の節目に当たる1988(昭和63)年にオープンしました。以下、往訪記です。
★ ★ ★
実はここ。昭和テイスト満載の資料館として、世間の評価は二分していた。しかし、地学マニアならば先ず押さえるべき“至高聖所”。2016年7月放送の『ブラタモリ』のなかで、裏磐梯を訪ねたタモリさんが無上の喜びを顕わにしている様を見て、その思いを強くした。
前日は平日だったからだろうか昼間でも数台。しかし、土曜の11時でも数台…。外観はモダンで立派な感じだけど。館内に入ると『ブラタモリ』で一同を案内していた佐藤館長じきじきに受付。というか、他にスタッフおらん感じですな。
「経営ダイジョウブなのち?」
そもそも自然科学系では全国的にも珍しい私立博物館なのである。“手作り感”が滲む理由はココにある。そして、展示内容は飽くまで大人向け!それがファミリー層が桁違いに少ない理由かもしれない。客層は50代以上(笑)。『学研の科学』世代だ。
「静かにジックリ観られるね」
そうなんよ。個人的にはありがたいけど。
ロビーには大噴火を伝える井上探景の錦絵。
まず最初に磐梯山大噴火の動くジオラマを見学しよう。地滑りを起こす機械の動作がどこかぎこちなくて昭和的。昔の遊園地に戻った気分だよ。ただし説得力はある。
=一階展示室=
主に磐梯山の噴火の歴史を観るコーナーだ。
模型や展示パネル一色。子供には難しいかもね(笑)。
「でもネットがあるから驚くほど情報吸収力は高いよ」
そのぶん忘れるのも早い。苦労して見つけた情報はまず忘れないし。
「どーして子供と張り合うのち?」 コドモか
凄いよね。写真が残っているんだから。これは喜多方で竹内写真館を営んでいた岩田善平(1855‐1895)という人物が大八車で機材を持ち込んで撮ったものだ(ちなみに写真は子孫の手によって建物の屋根裏から偶然発見された)。同じ会津といっても、裏磐梯まで走らせるのは並の事ではない。使命感なんだね。
「土石流の被害だよにゃ」 馬が倒れてる
雲仙普賢岳の火砕流被害も大変なニュースになったけど規模が違うな。
「明治以降最大の火山被害だって」
大磐梯と櫛ヶ峯の北方に存在した小磐梯が一瞬で吹き飛んだ。引き起こされたのが山体崩壊だ。その量は約20億㌧。堆積した土砂の厚さ100~150㍍!更に土石流の速さは45~77㌔/h。これでは逃げることもできない。集落は荒れ野に変わり、477名の犠牲者を出した。
「自然には叶わないにゃ」
立ち昇るきのこ雲は5000㍍にもなり、15~20回/分の爆発が断続的に続いたそうだ。
「一発で終わったんじゃないんだ」
この噴火で磐梯山の標高は650㍍さがったというからね。爆発音は佐渡島や長野県北部でも確認されたそうだ。数値データを知ると爆発の規模がよく判る。因みにここに紹介された撮影者は、奇蹟的に原版が残った人たちであって、社会を揺るがす大事件として、多くのカメラマンが現地に飛んだそうだ。
中央が岩田善平氏。右は政府のお雇い技師で、イギリス人のW・K・バルトンだ。帝大教授の関谷清景に同行を求められ、やはり多くの写真を残した。現在は国立科学博物館に保存されている。「磐梯山周辺、もはや家でも木でもなく写真屋ばかり」と、漫画家ビゴーはその様子を皮肉たっぷりに描写している。
その後、どのようにして裏磐梯は復興の道を歩んだのだろうか。
それには二人の偉人の存在が欠かせなかった。山林復興の立役者、遠藤十次郎。五色沼を周遊するとその墓碑を眼にすることができる。翁は官有地払い下げの代わりに、計10万本の苗木を二年に亘って植え続けた。つまり五色沼の景観は自然治癒ではなく、人の努力の上にある。この記念館に来て初めて知ることができる貴重なエピソードだね。
「いるにゃ。どこの世界にもすごい人が」 そんな風におなりよ
ムリ。俗物だもの僕は。
そしてもうひとり。十次郎の懐刀、宮森太左衛門翁だ。森林組合の理事を務めながら、軽便鉄道と道路建設に尽力した。地方の主要道路が民間の力で開設された例は少なくない。那須塩原、日光、奥蓼科が《観光業》で活性化されたように、こうした大立者が今の日本には必要なのかもしれないね。
ということで、磐梯山を売り物にした単なる“商用施設”ではなく、磐梯山への愛が築き上げた科学の殿堂であることを強く感じた。
初日に歩いたコースだ。位置関係も備忘録として加えておこう。沼の他に小さな丘がたくさんあるよね。
「流れ山でしょ」 ブラタモリで観たよ
そうだった。実はここでも録画VTRが上映されている。『ブラタモリ』の説明は判りやすい。さすがNHK。こうした山体崩壊の例は、苗場山の秋山郷や、燧ヶ岳による尾瀬沼、八ヶ岳による韮崎の岩屑雪崩など幾つもあげられるが、はっきり山に傷跡を観察できるのは島原の眉山(まゆやま)だ。
島原の眉山(参考資料)
※ネットより写真を拝借いたしました
この崩壊によって津波が発生。対岸の熊本にも被害が及んだんだよ。「島原大変、肥後迷惑」と言われるあれだね。
「知らんかった」 ふーん ←ぜんぜん興味ない
海外ではアメリカ西部のセントへレンズ火山が有名だね。
昔は富士山みたいな成層火山だった。
それが
↓
これよ。
プチ妙高山みたいだね。こうしてできたんだろうか。
最後に子供のための自然教室も。やっぱり、ザ・昭和(笑)。
=二階展示室=
ここからは磐梯高原の自然と世界の火山と地震に関する資料だ。
なぜ火山が日本列島に多いのか。この地球儀を見れば判るよ。太平洋プレートが沈み込んだ100㌔あたりに、摩擦熱と海水によってマグマだまりができるためだ。日本列島に火山が多いというより、プレートが沈み込んだ縁の上に、弧状の火山帯(=日本列島)ができたという方が正しい表現かもね。
日本の活火山をパネル展示。登れる火山で未踏なのは旭岳(北海道)と秋田焼山。あとは離島が残っちゃってる。
後漢の学者、張衡(78‐139)が発明した世界最古の地震計《地動儀》の復元模型。東京の国立科学博物館で別ヴァージョンを見たことがある。
土石流による埋もれ木の標本。
=三階展望室=
ここから磐梯山を眺望することができる。あいにく予報通りの曇り空。陽は差しているんだけど。いつかイエローフォール観に来ないとね。
「登山の熱量さがってるじゃん」
ということで見学終了。道路を挟んだ向かいに磐梯山3Dワールドもあるけど…いいかな。
観るべきものは駐車場にある。
左は(先述した)観光開発に尽力した宮森太左衛門顕彰碑。中央は被災者供養のための地蔵堂。
そして、右は“磐梯噴火の湯”供養碑。
会津藩主・保科正之の許しを得て、17世紀に磐梯の湯を開発した鈴木四郎右衛門の子孫と湯治宿は明治の大爆発で絶えてしまった。その後、明治になり、白井徳次氏が開発許可を許され、噴火口付近に磐梯噴火の湯を起こし、避難民供養の碑を建立した。明治23年のことだ。しかし、新たな噴火で埋没したため、ここに再建したそうだ。
「回りくどいの」
なんども被災したってことよ。
「三つとも資料館と一緒に作ったわけね」
そういうこと。
いかにも昭和的な観光資料館だったが、様々な角度で磐梯山の歴史を知ることができる。興味のある人にはお薦めだ。ということで、この日はレア酒を購入して帰宅した。
「毎回盛りだくさんだの」 まとめるの大変じゃね?
(おわり)
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