旅の思い出「浄月庵」(軽井沢タリアセン⑤)(長野県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

浄月庵(旧有島武郎別荘)

℡)0267-45-1175

 

往訪日:2023年4月29日

所在地:長野県北佐久郡軽井沢町長倉217

営業時間:9時~17時(11月~3月は冬期休業)

見学:(二階)無料

駐車場:180台(別途500円)

※建物二階は撮影OKです

 

《今は静かな喫茶店…》

 

ひつぞうです。軽井沢タリアセン往訪記の最終回です。ランチはカフェ《一房の葡萄》で頂戴することにしました。有島武郎の別荘(正確に言えば有島の義兄の持ち物)浄月庵の一階に入っています。ついでに見学してコンプリートしようというわけ。以下、往訪記です。

 

「やっと終わりきゃ」サル まいったまいった

 

★ ★ ★

 

カフェ 一房の葡萄

■営業時間:同上

■32席(屋内+テラス)

■予算:1,000円~1,500円

 

 

浄月庵軽井沢高原文庫の道を挟んだ向かい側にあった。ちょうどお昼どきだが、ファミリー層は園内のバーベキューハウスを利用しているのだろう、左程混雑していなかった。

 

「その方が良い」サル 混むとヒツがイラつく

 

おサルもでしょ。

 

 

カフェだからガッツリしたものはないね。トーストセット(+ミルクティ)でいいや。

 

「むー。軽井沢価格だのー」サル

 

 

一階がカフェなんだね。シックな調度に磨き込まれたテーブル。流れる音楽はビル・エヴァンス。

 

 

早速来ましたよ。結構な量だね!

 

「嬉しそうだの」サル ええんかそんなに食って

 

絵的に映えない?

 

「そっちきゃ」サル 女子かよ

 

 

僕はミルクティにした。なんか優雅~♪

 

「こんなところ滅多に来ないしにゃ」サル

 

ずーっとずーっとずーっと山ばっかりの生活だったからね。

 

 

軽井沢周辺って野菜もおいしいんだよね。厚切りのパンもフワフワ。

 

 

さすがに無塩とはいかないが、バターも濃厚でたっぷり。期待してなかっただけに大満足!

 

「店主さんも感じよかった~」サル

 

★ ★ ★

 

ということで二階の記念室を見学させていただいた。

 

 

ここの階段も短いながら踊場つき。

 

 

部屋は二間。意外に小体なんだね。

 

 

天井板と漆喰以外は元の資材を使ったんだろう。

 

 

張り出し窓になっている。限られたスペースを有効活用しているね。

 

 

鎌倉彫の展示ケースには、有島自身による遊学先の欧州のスケッチと“あの事件”に関する新聞記事が展示されていた。

 

「なに?事件って」サル

 

有島武郎は『婦人公論』の若い女性編集者と情死したんだよ。

 

「え!この人も?」サル 太宰治だけじゃなかったのきゃ

 

昭和の前半までは沢山の作家が自殺しているよね。だから当時は「作家=人格破綻者」のイメージが強くて息子が「作家になりたい」なんて云ったら親は猛反対したんだよ。そもそも有島武郎ってどんなイメージ?

 

「志賀直哉とかぼちゃ画家と仲が良かった」サル

 

武者小路実篤ね。作家だけどね。三人は学習院の同窓で雑誌『白樺』を通じた文学仲間だったよな。でも、天真爛漫な武者小路や、怒りん坊の志賀とは違って、影あるイメージなんだ。有島って。そもそも作品も少ないし「有島武郎リスペクト!」って声高に叫ぶ現役作家って聞かないでしょ?

 

 

詳細はパネルの説明に譲るけれど、裕福な家庭に生まれた有島は、学習院から札幌農学校に進学する。今の北大だね。この間にキリスト教にも入信。欧米留学も果たして順風満帆のようだが、その後、社会主義にかぶれてしまう。このあたりの経緯は、津軽の大地主の家に生まれて自己否定とナルシズムの両極を彷徨った太宰治と似ている。

 

 

しかし、キリスト教にも北海道開拓にも挫折。妻の結核罹患を期に鎌倉に引きあげた。間もなく本格的な作家活動に入るが、実際に筆を執ったのは、1916(大正5)年から1920(大正9)年の僅か5年間。長篇は『或る女』一作という寡作ぶりだった。次第に創作意欲を喪い、そして…この事件に至った。

 

「創作に対する思い入れがあんまりなかったのかにゃ」サル

 

そうだね。親父との確執を原稿用紙にぶつけまくった志賀のような思念は希薄だったのかもしれない。一方の有島家は絵に描いたような裕福円満な家柄だし。やることが見つからず、どれもこれも中途半端に終わって鬱状態だったのかもね。奥さんにも先立たれて。

 

「それが一番大きいよ」サル

 

 

さて。お暇しますか。

 

「新聞の記述すごいにゃ」サル

 

そうだっけ?

 

「ちゃんと読んでるのち?」サル

 

どれどれ。(と真面目に読んだ。すると…)

 

※以下の新聞にはやや重い表現があります。

ショックを受けやすい方、夕食前の方は御遠慮ください。

 

(事件を伝える大正12年7月8日の東京日日新聞)

 

ま、記念館ということだから、子孫の皆さん諒解のうえでの展示なのだろう。忽然と姿を消した兄の行方を心配していた、弟で画家の有島生馬は、別荘の守番から変わり果てた姿で兄が発見された事実を報らされる。場所は妹の夫・日本郵船重役の山本直良の別荘だった。しかも発見が一箇月後とかなり遅れたために現場は陰惨を極めたらしい。

 

「先に読んでたら、ご飯ダメだったかも」サル

 

まあ、相手は某実業家夫人だの、以前も恋愛事件があっただの、好き勝手に書かれるのは今も昔も同じだ。しかし、妹の旦那の別荘で情死とは、有島も追い詰められていたのだろう。展示品の半分がこの事件に関する資料という事実が、現代における有島のイメージを物語っていて少し切ない。

 

「ということはここで発見されたのち?」サル

 

判らない。ひょっとしたら一階かも。

 

ということで、二時間半も滞在してしまった。本当に温泉に間に合うのか、実はこの時点で自信を失いかけていたのだが、それはおサルには秘密だ。

 

「いつか埋めゆ!」サル

 

(つづく)

 

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