名建築を歩く「睡鳩荘」(軽井沢タリアセン①)(長野県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ14

睡鳩荘(旧朝吹山荘)

℡)0267‐46‐6161

 

往訪日:2023年4月29日

所在地:長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉217

開館時間:9時~17時(12月・1月は10時~16時)

入館料:タリアセン入園料800円+睡鳩荘200円

駐車場:180台(別途500円)

※ミュージアムセット券(高校生以上1,600円)がお得です

登録有形文化財

 

《かつては森の中の山荘だった…》

 

ひつぞうです。夜のつきあいが忙しくて日記が捗らず、いまだGWの備忘録。記憶をたどりながらの軽井沢旅行の続きです。翌朝向かったのは軽井沢タリアセン。ウェールズ語で“輝ける額”という意味らしいです。直接的には近代建築の父、フランク・ロイド・ライトの建築工房に因むものだと思います。というほどに、ここでは軽井沢ゆかりの名建築が移築されて余生を過ごしているのでした。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

次なる投宿先が離れているため、あまり余裕はなかったが、蒼空が拝めるのも午前中までだったし、この先、軽井沢を訪れることもそうありそうにない。この機会をとらえることにした。

 

 

軽井沢タリアセンは美術館、レストラン、遊戯施設が一体となった観光施設だ。なので、家族連れやカップル、それにアートファンも愉しめる。朝一番ながら、さすがはGW。多くの家族連れが列をなしていた。

 

「みんな遊具コーナーに行くみたいだにゃ」サル

 

 

御覧のように、園内にはこれから訪れる睡鳩荘に、ペイネ美術館、そして深沢紅子野の花美術館などが広範囲に点在している。なお、園外の軽井沢高原文庫も共通チケットで見学できる。旧有島武郎別荘の浄月庵はカフェになっていた。果たして全部回り切れるか?

 

まずは塩沢湖畔にたつ瀟洒な英国風ロッジに向かうことにした。

 

「雰囲気あゆ~♪」サル

 

 

ここは文学ファンと建築ファンにとって必見の場所だ。

 

 

元は三井財閥の四天王と呼ばれた大番頭のひとり朝吹英二と、その息子で、やはり財閥の要職を務めた朝吹常吉ら親子二代が築き上げた別荘だ。

 

そして、常吉の妻は明治の元勲・長岡外史の息女でオリンピック選手だった長岡磯子。磯子さんめっちゃ美人なんだよね。この二人の間に生まれたのが朝吹登水子先生だ。

 

 

「すっごい家系だにゃ」サル

 

まあ、財閥解体前は、こうした名家は数多く存在した。だが、文武両道において優れた功績を遺した一族は稀かもしれない。なお、芥川賞作家の朝吹真理子さんは常吉翁の曾孫にあたる。

 

話を戻そう。朝吹先生といえば、僕らの世代までは『悲しみよこんにちは』を始めとするサガンの翻訳小説でお馴染みの人物だ。判りやすい表現ながら、少しスノッブな文体は、フランスの現代恋愛小説を読んでいるという気分になった。当然、実体験のない中学生だったので気分だけ。それで満足だった。それらも新訳に置き換えられ、朝吹先生の文体も過去のものになりつつある。

 

だが、この山荘に一歩足を踏み入れれば、往時のハイソな文化に浸ることができる。

 

 

極上の調度で埋め尽くされた応接間。ここは明治の名建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計としても名高いんだ。

 

「だれそれ?」サル 知ーらねっと

 

元は英語教師として滋賀県の近江八幡に着任したんだよ。教師といっても、キリスト教伝道の仕事がメインだったんだ。建築家志望だったが、いろいろあって文系に進学している。そう。つまり建築においてはシロウトだったんだ。

 

(家具・調度品は当時のもの)

 

そんな人物が明治期に多くの名建築の意匠設計を施した。主たる作品は教会建築だけど、手掛けたジャンルは学校、オフィスビルと幅広い。あの大丸心斎橋本店もヴォーリズの設計なんだ(ただし、一部を残すのみで殆ど現存せず)。

 

「でもなんで軽井沢なのち?」サル

 

好い質問だよ。

 

(天井の松材は軽井沢のアタゴレーンから一本ごと馬で曳いたそうだ)

 

当時すでに多くの居留外国人の避暑地だった軽井沢に最初の建築事務所を開設した。そこで英二翁から仕事を得たんじゃないかな。睡鳩荘の名前は、やはり三井四天王のひとり、益田孝が朝吹家の睡鳩の掛け軸を懇望し、その代金で建てたためとされる。

 

「すごいにゃ!家が一軒建つ掛け軸って」サル

 

だから古美術はコワいよ。買えるひとがいるってのも怖いけどね。

 

 

踊場に掛けられているのは常吉翁の肖像画だ。サインから判断すると、作者は白馬会の平岡権八郎だな。外連味なく、その人となりをよく伝えている。とにかく天井が高い。大柄だった常吉翁は、この山荘がお気に入りだったそうだ。

 

 

建物の竣工は1932(昭和7)年。派手な装飾がないぶん、建物そのものの美しさが際立つ。

 

 

カンテラから浮かび上がる文様がウサギか熊みたいだ。

 

 

これってエマニュエル夫人が座っていた籐椅子と同じだね。

 

 

窓の間取りが大きいのが特徴。

 

 

朝吹先生が執筆に使用していた部屋だろうか。

 

 

ここが二階で一番広いサロン。

 

 

床には断熱材としておがくずが詰められている。なお、元の別荘地から移設する際に、このおがくずも可能な限り再利用したそうだ。

 

 

幼い頃の先生は、同じく軽井沢の住人だった作家の有島武郎の二男、敏行さんに淡い恋心を抱いていたそうだ。彼に遇うことを愉しみに、夏の避暑に向かったと回顧されている。ちなみに長男はのちの日本映画黄金期を支えた名優、森雅之だ。

 

 

この山荘を中心に、朝吹家や多くの文化人、財界人が闊歩していたと思うと、自分なんかと全然違う世界ながら、郷愁のようなものを感じたな。

 

朝吹先生は2005年に亡くなった。その遺志をうけて2008年に山荘はこの地に移設された。

 

 

バルコニーから見る湖は青空を美して、どこまでも広く、そして美しかった。

 

「さっさと次にいくだよ」サル💦

 

おサルは温泉に間に合わなくなることを恐れているのだった。

 

(つづく)

 

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