≪蕎麦粒山南尾根から見る前黒法師岳(左)と大無間山(右)≫
こんばんは。ひつぞうです。僅かな時間を掻き集めて「蕎麦粒山~高塚山」の更新です。
★ ★ ★
(前回まで)
尾呂久保の三ツ星天文台から出発。大札山を経て南赤石林道に再び降りたちました。
蕎麦粒山の南尾根登山口を無事発見。ここから山頂まで1時間30分と記されている。ま、幕営装備だし無理だろうね。2時間と見込んだ。
ジクザクに切られた道をたどって稜線まで。
落石しやすいので後続者に配慮しよう。
小さなピークを越えると岩尾根に変わる。
入山者が少ないのか、地面がフカフカで踏み込まれた形跡がない。
二つ目のピークへ。
この斜面がなかなかの曲せ者。踏み込むたびに足裏が沈む。
「ザックが重いにゃ~!」
ようやく乗りあげた。いよいよ(大札山から双耳峰のように見えた)1543峰か。
黄色いガイドロープに頼りながら登っていく。
結構時間がかかっている。とてもではないが、二時間でも難しそうだ。
核心部はこのトラバース。めっちゃ滑る。なのに肝心な処でロープが途絶えている。アイゼンつければいいだけの話なのだけど。
「ここだけのためにつけるの面倒くさいにゃ」
大事なことなんだけどね。
登りあげてみれば1543峰はまだ先だった…。
こんどこそ。
と思ったら、まだあるんかい!
「山アルアルだにゃ」
やっと捉えた1543峰。山頂の立ち枯れた針葉樹に「林道」と赤ペンキで大きく記してあった。
山頂まではもうたいした標高差はない。
東側に大きな崩壊地があり、そこから八丁段(手前)と前黒法師岳、大無間山を捉えることができた。
崩壊地の際を登っていく。西側にも発達したナギがあり、西風が砂塵を巻き上げるせいで、眼を開けることができない。と、ちょうどその時、ソロの男性が日帰り装備で追いついてきた。
もう山頂はそこだ。
蕎麦粒山についた。去年は夜明け前に通過したので何も眼にすることができなかったが…
絶景が東の空に広がっていた。この日は風は強かったものの、終日雲ひとつない快晴だった。
くだんの男性は山犬段に降りようとして逡巡したのち、雪が深いので同じ道をピストンで戻ると言葉を残して去っていった(この日出逢った人物はこの一名のみ)。時刻は午後一時を回っていた。
この先の三ツ合山までは一年前の寸又峡周回で歩いている。体力が落ちていなければ二時間だ。そこから高塚山までは(距離はあるものの)標高差は知れている。一時間半見込んでおけば充分だろう。随分古いが、一人の足跡が微かに残っていた。
積雪は深い処で踝の上まで。硬いモナカ雪ではないのでツボ足で進むことにした。
蕎麦粒山から先は踏み跡が薄くなる。前回は闇夜だったので、初めて眼にする風景だったが、凡その進路は記憶に残っていた。
五樽沢コルを通過。南赤石林道を示す標識は去年よりも厳重に封鎖されていた(笑)。
かなりしんどい登りだった記憶があったが…
思いのほかサクサク登ることができる。
笹原が現れれば三ツ合山までは近い。
幕営への誘惑が…。ダメダメ。ここで張ると翌日の行程が一気に厳しくなる。
ゴールの高塚山がみえてきた。
三ツ合山についた。費やした時間は昨年同様ぴったり二時間。体力の減退はなさそうで少し安心した。寸又峡周回はここから北上する。(分岐の標識あり)。
その周回コースの尾根を眺めて一服。左から房小山、バラ谷ノ頭、黒法師岳。手前の高原台地は千石平。見れば足許に、最高の幕営適地が一張り分あった。猛烈にアピールしてくるそれを振り切るようにして尾根をくだった。
既に夕暮れの色彩が強まりつつあった。急ごう。
想定したとおり下降50メートルほどで尾根は水平になった。
しばらく舟窪地形を進む。
西側には山住峠と常光寺山が結ぶドレープライン。
“三百名山”に続く道とは思えないほど踏み跡は薄く、標識もなく、目印も殆どない。次第に広尾根は痩せ始めて、勾配を強めてゆく。
そして再び尾根が広がり始めた。そこが高塚山だった。
ずっと視界を遮られっぱなしだったが、山頂直下で、その日越えてきた大札山を眼にすることができた。左端に林道の崩壊の跡が見て取れる。
時折吹き溜まりに悪さされることもあるが、稜線に雪はほとんどなかった。
自らの査定1時間30分に対して50分で山頂到着。三年前は竜馬ヶ岳からアプローチして、目前で時間切れになったが、リベンジを果たすことができた。
待っていたのは誰にも犯されていない純白の雪原だった。踏み跡の主は黒バラノ頭に向かったらしい。時刻は午後四時を回った。気温が急速にさがってゆく。手早くテントを組み、食事の準備に取り掛かる。
この日はスキヤキ。大量に担ぎ上げた牛肉を前にして、完食できるのか半信半疑だったが、綺麗に汁まで食べ尽くした。すでに尾西の五目御飯も一食ずつ空にしているのに。なんという食欲。自分でも驚く。
「幾らでも食べられる~♪」
フライを捲ると、今まさに沈もうとする太陽がそこにあった。ラジオが午後六時の時報を告げてしばらくたった頃だった。マジで疲れた。寝るとしよう。本当に長い一日だった。
【一日目の行動時間】 9時間20分(休憩除く)
(つづく)
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