静浦山地縦走(城山・発端丈山ハイキングコース)② | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

≪葛城山から望む淡島と紺碧の駿河湾≫

 

こんばんは。ひつぞうです。忙しさにかまけていると、あっという間に一日一日が過ぎ去っていきますね。夏休みの終わりが近づくにつれて、無為に過ごした最初の幾日が悔やまれる、あの気持ちにどこか通じる気がします。今夜も「静浦山地縦走」の続きです。

 

★ ★ ★

 

 

いつまでも景色に見惚れている訳にはいかなかった。帰りのバスは一時間に一本しかない。広場から北に進むと立派な展望台があった。

 

 

南側には天城山から達磨山に至る伊豆半島の脊梁が伸びていた。

 

 

伊豆半島横断の旅も愉しかったなあ。

 

 

そして眼の前にはこの日最後のピーク発端丈山(ほったんじょうやま)

 

「変わった名前だにゃ」サル

 

駿河湾から始まる発端の山だからとか言われているね。

 

 

更には海に浮かぶ淡島鷲頭山

 

 

恋人の鐘を鳴らして山頂に向かう。あたりには観光客がいっぱい(笑)。

 

 

着いた。葛城山山頂。同じ名前の山は近畿地方に集中しているけれど東日本では珍しい。

 

 

富士山はまだガスの中だった。昼過ぎには晴れる予報なんだけど。想像を超える混雑に驚いた僕らは、トイレを借りるなり、そそくさとハイキングコースに戻った。イノシシ避けの電気柵が張ってあるが、登山道の利用は問題ない。

 

 

ゴロゴロした石が浮いた歩きづらい道をくだっていく。

 

 

トリカブトの仲間が幾株か咲いていた。

 

 

舗装道路にタッチしたあとは左へ。

 

 

案内標識がついているので道迷いの心配はない。

 

 

城山・発端丈山の分岐についた。これを左に行けば来た道に戻ることができる。僕らは右へ。

 

 

しばらく水平な道が続く。

 

 

樹間から発端丈山が見えてきた。

 

 

益山寺分岐を通過。左へくだれば古刹・益山寺に至る。

 

 

寺の縁起が記されていた。修善寺よりも歴史が古いらしい。

 

 

葛城山以降は誰にも遇っていない。落ち葉を踏みしめながら、額に浮き出る汗を拭う。

 

 

最後の登りだ。ここ数年、十月に熱中症にやられることが多くなった。この日のNHKラジオ「石丸謙二郎の山カフェ」に出演された山岳ライターの羽根田治さんが、山での熱中症の怖さについて語られていた。本格的な熱中症になると、全身の筋肉に強烈な痛みが走り、動けなくなるという。

 

 

しかし暑い。幾ら低山とはいえ、もう十月も終わりだよ…。

 

 

なんとか無事に発端丈山に到着。貸し切りである。

 

 

なんだよ。眺望いいじゃん。

 

「あ!富士山見えてるよ!」サル

 

ほんとだ!

 

 

葛城山を振りかえる。お腹が減って眩暈がするのでオムスビを取り出して食べた。塩が利いているので傷むことはない。猛暑の山形の山では一度腐って糸を引いたことがある。原因は海苔だった。海苔は熱処理しないと雑菌が残っている場合があり、腐敗を誘発する。

 

 

お腹も一杯になった。下山しよう。果たしてバスに間に合うのか?

 

 

ところが急斜面の登山道が粘土質で滑るのなんのって。

 

 

最後は足場の朽ちた単管パイプの階段。これが一番怖かったかも。

 

 

思ったよりも時間を要してしまい、登山口に出たところでバスの到着時間を迎えてしまった。

 

ま、仕方ない。ゆっくりいこう。

 

 

海の見える街はどこか懐かしさが漂う。内陸育ちなのに不思議だ。そこがどこであっても、入り組んだ海浜の路地を歩いていると、中上健次の小説の世界に迷い込んでしまったような、そんな錯覚を覚える。

 

 

残念ながらバスは10分前に出てしまっていた。途方に暮れるおサル。仕方ないよ。待つしか。

 

 

腹を括って待つことにしたが、おサル何やら怪しい動き。なにしてんの?

 

「スマホで調べたら、ここから道の駅まで5キロだにゃ。歩いて一時間ちょっとらしいにゃ」サル

 

そんなことないよ。三時間は掛かるって。

 

といつもの悪い癖で、歩きたくないばかりに大きく鯖を読んでしまった。どう考えても大ウソ。

 

「おサル歩く。」サル

 

ならば僕も一緒に行かないと。(やれやれ)

 

★ ★ ★

 

ということで、いつも通りの車道歩きとなってしまった。実はこの近くの街に僕の親戚が暮らしていた。今では殆どゆかりの人びとも亡くなり、記憶だけが頼りの、実体のない抜け殻の街になってしまった。ただ中学一年のひと夏を過ごした、この沼津、長岡、船原という土地は、郷愁と旅情が綯い交ぜになった記憶が強く結びついている。

 

今でも思い出す。

 

博多駅で母ひとりに見送られたことで、親父も誰もついてこなかったことで、僕の孤独は嫌増しに増した。寝台特急さくら号が街の灯りの消えた岩国の駅を警笛を鳴らしつつ、僕らを乗せて通過してゆく。B級寝台の最上段に上がる前。対面の老母と一緒に旅する若い女性から冷凍ミカンを一個貰った。やさしさに心が揺らぎ、女性の中の「女」を一瞬強く感じた。未熟な思春期だった。

 

払暁の名古屋駅が、都会の駅舎とは思えないほど静かだったことを覚えている。昼前にようやく沼津駅に着いた。搭乗口に出迎えの親戚はいなかった。出発この方、しこりのようになっている「孤独」が再び蠢動し始める。なんのことはない。叔父さんと従兄妹たちは、車輌を間違えて、遠いところで首を伸ばして僕の登場を待っていたのだった。

 

そのひと夏。この坂とカーブとトンネルの道を、幾たびも魚釣りや水泳のために、叔父さんの運転する車で往復した。そこを今、自分は歩いていた。道の駅には一時間あまりで着いた。当然僕の底の浅い嘘は簡単にバレた。おサルから頭突きを一丁お見舞いされたあと、ただ無心に田舎道を歩き続けた。沿道で見た柿の色は、新たな記憶として脳裏に刻まれることになるだろう。夫婦の山行とともに。

 

(おわり)

 

【行動時間】 (登山)5時間+(徒歩)1時間13分

 

いつもご訪問ありがとうございます。