坂口安吾著『桜の森の満開の下』を読む | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうの偏愛的読書【21】

坂口安吾著『桜の森の満開の下』(講談社文芸文庫)

1989年(1947年初刊/『いづこへ』所収)

 

(画像はネットより拝借いたしました。ご容赦ください)

※個人的備忘録です。やることがなくてもそれなりに愉しんでます。

 

こんばんは。ひつぞうです。こんな時間でもなければ、安吾の備忘録など書けなかったでしょう。よかったのか悪かったのか(笑)。

 

★ ★ ★

 

今回取り上げるのは無頼派の巨人・坂口安吾の傑作短編集。この文芸文庫版は社会人になる一年前に初版で買いながら、どうにもなじめずに三十年も放置していた。今回あまりのヒマさに遂に頁を繰った。そして放置していたことを激しく後悔した。三島由紀夫「太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮かんで、木の葉が沈むようなものだ」と讃辞を送ったことが決して大袈裟でないことが判った。すばらしい傑作だった。

 

(写真家・林忠彦の有名な作品より。この一枚が安吾のイメージを決めた)

 

坂口安吾(1906-1955)。無頼派の代表作家。新潟市有数の旧家に生まれる。勉強嫌いだが、好きな事は寝食を忘れて没頭。東洋哲学、内外の耽美文学に傾倒する。1931年発表の短編『風博士』で評価を獲得。流行作家の道を歩む。歴史小説、推理小説と手がけたジャンルは広く、史実を踏まえつつ壮大かつ幻想的な虚構世界を構築した。脳出血により死去。享年48歳。

 

安吾といえば『堕落論』『日本文化私観』における伝統文化や既存価値の否定が思い浮かぶ。徹底的な破壊の果てに現れてくるものこそが真の美であり善であると言ったんだ。(その意味で)堕ちるべきだと。

 

無頼派というと、ヒロポンやって、借金して、女を泣かせて、自分も泣くという家族泣かせな文学を髣髴する。でも(クスリはやったけど)安吾はちょっと違う。着ているものは襤褸だけど、凛と背筋の伸びた雑兵みたいで。事実読んでみると、作品世界は風貌そのままだった。

 

=あらすじと寸評=

 

書き出すとキリがないので簡単に。

 

「長そうだにゃ…」サル

 

『小さな部屋』

芸術かぶれの厭世家たちの思弁的会話が繰り返されて、最後は仲間の一人が死ぬ。それだけの小説。(作者を投影した)新しい芸術創造の苦悩を表現したものだろう。良さが全く理解できない小品。最初ここで躓いた。

 

『禅僧』

雪国の寒村の禅僧が、色に狂った娘に岡惚れして、逆にプロレス紛いに組み敷かれて喜ぶというSM紛いの被虐趣味小説。好きな女に凌辱されたいという趣味は、谷崎乱歩マゾッホの例を引くまでもなく実に多い。民俗学の書誌には、宿場町の旅籠には大抵こうした玄人女の商売があったと記されている。以下、説話を下敷きにした作品が続く。

 

『閑山』

山寺の高僧に憧れた一匹の狸が、雲水に化けて修行するという説話文学。粗筋だけを追うと退屈そうだが、修行に勤しむ狸の実直さと、ちょっと間抜けなところに味がある。檀家を従えて読経する狸が放屁を我慢に我慢を重ねて、最後に御堂を揺るがす大放屁を放つ場面は放屁絶倒。ちなみに舞台となる魚沼に「閑山寺」という寺院は実在しないようだ。

 

(イメージ写真)

 

『紫大納言』

天女が空から落とした横笛を横取りしたエロ貴族が、返還の条件にその天女を監禁し、我慢できずに手籠めにしてしまう。紫色は貴顕のみに許された「禁色」。貴顕が純粋を瑕つけるという構図は『アラビアンナイト』など世界中に散見される。色惚け貴族が絶世の美女を犯すというエロティシズムと暴力の混淆は、カストリ雑誌に代表される戯作文学勃興という時代の影響もあったのか。己の過ちを悔いた大納言は横笛を奪った盗賊の集団に単身乗り込むのだが、まあ当たり前だが、面白いように半殺しにされてしまう。

 

(カストリ雑誌の一例)

ネットより拝借いたしました。

 

「説話」に材をとるという形式ゆえに、寓意性の読み取りが解釈と鑑賞の定法のように言われるが、僕は(安吾作品に限っては)筋運びの面白さと、豊かなイメージに浸りたいと思う。

 

『露の答』

架空のフィクサー加茂五郎兵衛の伝記編纂を任された作家がその子女の許を訪ねる。(ほかの掌編もそうだが)途中で投げ出した未完の作かと思われる。タイトルの「露の答」在原業平の歌「しらたまのなにかと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを」に由来する。五郎兵衛は踊の師匠の娘と恋仲に陥り、内縁の妻に刺し殺ろされかける。露と答えた上臈の美女は、恋仲の娘のことなのか。説明もないまま巻を終える。安吾の小説にはこんな消化不良の掌編が幾つもある。

 

『桜の森の満開の下』

鈴鹿峠に盗賊がいた。ある夫婦者を襲って自分の女房にしたまではいいが、この女がとんでもない欲深かつ残酷な女で、派手な都暮らしをするために、バンバン人を殺すよう命じる。男は山に還ると女を説き伏せる。そのためには、一本の桜の下を通らねばならない。盗賊も怯む妖気漂う桜。そこを通った瞬間、背負った女が鬼婆の正体を現す。絞め殺して事なきをえたと思いきや、女は元の女だった。盗賊は泣き崩れるが、女は桜の花びらに変わり風に散ってしまう。非常に短い作品ながら、幻想と耽美性が凝縮された傑作。ラストの花吹雪は実物を見ているように美しい。

 

(イメージ写真)

 

疲れたのでここから更に簡略に。

 

「飽きたのち?」サル

 

『土の中からの話』

農村の説話を扱った作品。金がなくて坊主に酒を借りた男が、返せないまま大病を煩う話が出てくるが、いまわの際の男に向かって坊主は「牛に生まれ変わって体で返せ」という。薄情な物言いだが、横から女房が「おまえさん。是非そうおしよ」と駄目だしするのがなんとも可笑しい。このくだりに関しては我が家でも議論になって、果たして僕が借金を遺して先立つとした場合、おサルが「ひつ、ぜひ牛におなりよ」というかどうか。羊も牛も偶蹄目であることには違いない。

 

「いつも食べた後はウシになってるよ」サル

 

『二流の人』

小田原征伐、朝鮮出兵を舞台に、秀吉、家康、そして名軍師黒田如水の葛藤を描く。この短編集の約1/4と一番長い。歴史の勉強にはなる。でも長い。

 

『家康』

策士・家康という旧来の伝説を覆し、人情豊かな小人物として描いた短編。権謀術数ばかりの戦国の世に疲れ果てた戦国武将が、もう自分の領地さえキープできればそれでいいじゃん、と思い始めた時代の空気が、家康のような生真面目で小心で腹芸なんてできない人物を要望したという解釈は、教科書で習う権現様の人物像とは少し違う。

 

“決してその時代の最大最高とは限らない人物が、時の流行の思潮によって最大最高の地位につく。(中略)流行作家というものは時代思潮を血肉化して永遠の足跡を残す人は案外少なくむしろ歴史的には埋没するものなのである。”(270ページ)

 

流行作家という存在を(戦国武将と重ね合わせて)「時代の空気を反映する鏡」のようなもので「永遠の価値」を保つものではないと自嘲的に書いている。だが、安吾文学=一過性の流行という見立ては(幸か不幸か)外れたようだ。

 

『道鏡』

孝謙天皇の寵愛を受けた銅鏡の物語。永遠の処女性の持ち主を、三本足の絶倫の怪僧が誑かしたと高校時代に教えられたけれど。銅鏡は純粋無垢なる美丈夫で、藤原家の悪童たちの奸計に嵌められたと描かれている。どっちが本当なんだ!

 

『夜長姫と耳男(みみお)』

三人の仏師が夜長の長者に招かれる。夜長姫の持仏を作り、姫が気に入った者には奴隷の機織り娘を娶らすというのだ。血気盛んな飛騨の若い仏師・耳男にはそれが面白くない。そこでとんでもない悪鬼を彫ることにする。耳男は機織り娘に馬のように長い耳を削がれるなど災難に遭いながら、会心の木彫を完成する。姫は驚くどころか大層喜ぶ。そのうち流行り病が集落を襲う。姫は村人が病に斃れる姿を喜ぶ。この女を生かしておけない。耳男は姫をひと思いに刺し殺す。

 

傑作のひとつ。今わの際の姫が漏らす「好きなものは呪うか、殺すか、争うかしなければならないもの」という台詞は、一種のアフォリズムとして耳に残る。一般的な「愛」とは違って、ここでいう「好きなもの」とは(芸術のように)好きでありながら身を苛む存在を云うのだろう。安吾の執筆活動は奮闘努力そのもの。ページを繰るのがもどかしくなるほど面白かった。

 

『梟雄(きょうゆう)』

美濃の武将・斎藤道三の物語。下級武士の家系に生まれ、僧侶、油商人と職を変えて、その才知を活かして土岐氏を滅ぼし、信長と義理を結ぶ。美濃一の戦の天才と呼ばれた道三にも弱点があった。土岐氏から奪った愛妾との間に生まれた長男・義龍。結局、義龍の叛乱によって道三は討死する。とまあ、粗筋だけをまとめると全くつまらない。それまで無名の武将に近かった斎藤道三を有名にしたのは、この時代の歴史小説家の手腕による処が大きく、本作もその一つに数え上げられる。しかし、中途半端に終わるのが惜しい。

 

「おサルはレキシは苦手だにゃあ」サル

 

『花咲ける石』

上越の利根郡追貝(吹割の滝の近傍)には古来土豪たちが組織した剣豪集団が存在した。なかでも最強の流派・法神流の名声は江戸にも聞こえた。それを面白く思わない同じ上州の別流派の男が奸計を企み、法神流の腕利き・須田房吉は非業の死を遂げる。罠と知りつつ、単身敵の陣地に乗り込む房吉の漢気が歌舞伎役者ように美しい。

 

★ ★ ★

 

短編集は纏め方をもう少し工夫しないと大変ですな。

 

「備忘録なんでしょ?」サル

 

そのうち書いたことを忘れそう(笑)。

 

(終わり)

 

少しだけでも世の中が良い方向に向かいますように。