GWは、長崎の実家に帰省しました。



5月4日(土)





飛行機雲


実家の近所の家


向かって右が、母屋
 

左は、昔、牛小屋でした。


どちらも同じ所有者です。


黒毛和牛が私の家まで綱を切って逃げてきて、とても怖い思いをしたことが何度かあります。


夜間、妹が飼い犬にご飯をあげに行ったら、暗闇に動く大きな何か。


犬小屋の側に黒毛和牛が立っていたのです。

妹は、家の中に逃げ込みました。


黒毛和牛は、私の家の周りをグルグルと円を描きながら走り回りました。


飼い主の隣のおじいさんが、綱を持って牛に引きずられながら帰って行く光景が思い出されます。


売られる日は凄い鳴き声が響き渡り、自分の運命を知っているのだなと思って見ていました。


子牛が来た時は、何日も大声で鳴いていていて、夜も眠れないくらいでした。


臭いは凄いし、蝿はたくさん飛んでくるし、民家の近くで牛なんて買って•••いい加減にして欲しいと思っていました。


おじいさんが亡くなったら、牛がいなくなりホッとしました。






とても綺麗な土地で生まれ育ちました。


景色だけじゃなくて、空気も澄んでいて、水も美味しいです。


星空も美しい。


私の性格がおおらかなのは、もしかしたらこの自然豊かな広々とした場所で暮らしていたからかもしれません?











ここに見えているのは、道も含めて全部実家の所有地です。





ここも実家の所有地です。


筍がたくさん取れますよ。


掘るのが面倒なので、筍は放ったらかしです。







庭とその裏の林も実家の所有地です。



周りの家は、全員知らない内にどこかへ引っ越して空き家になっていましたガーン



挨拶も無しです。



何ヶ月も人間の声がしないので、おかしいなと思っていたそうです叫び



「◯◯さん、一人で怖くないの?この辺りみんないなくなったよね。」と知人に言われて、父は「えっ!?どういうこと?」



知人「知らないの?何ヶ月も前から誰

も住んでいないよ。」



過疎化



父がたった一人で住んでいます。





この日は、2時間くらい父の書類の整理をしました。



私宛てのハガキもありました。なんと!私が独身の頃に来た30年くらい前のハガキ。



「なんで、当時私に渡してくれなかったのだろう。」



汚い台所で作ってくれた鯛のアラの味噌汁は、意外に美味しかったです。



玄関に積んであった白い発泡スチロールの箱の蓋を開けたら、ドロドロの液体。



そして、飛び出して来たたくさんの小蝿



思わず「ギャ~ガーン」という悲鳴を上げてしまいましたあせる



「これはなんなの!?」



「人にもらったミカン。最初からカビが生えていて、捨てるわけにもいかずにここに置いていた。」



4ヶ月前にもらったミカンが腐れて、ドロドロの液体になっていました。



玄関の下駄箱の上には、たくさんの未開封の不要な郵便物。



温厚な私もとうとうキレました。



「郵便物は、毎日来たら中身をすぐにチェックして、不要な物は捨ててよ。お父さんがいなくなったら、私達姉妹がこの家を片付けることになり、苦労するんだよ!」



父は、「心身症の7割の人が自サツするって知ってる?片付けは、やろうと思ってもできないんだよ。理解してくれるのは医者だけ。」



自サツの話をいきなり持ち出して、私を脅かす作戦に出ました。



若い頃からだらしない父親だったので、話半分に聞いておけばいいのです。



妹に帰宅後に話したら


「コロナが怖いからデイサービスには行かないという人が、自サツなんてするわけないじゃない。それにもう85年も生きたんだから十分でしょう。」と言いました。