2023年12月1日



『豊島区立 鈴木信太郎記念館』(旧鈴木家住宅)に行きました。



東京都豊島区東池袋5-52-3



地下鉄丸ノ内線「新大塚駅」より徒歩約3分







住宅街を歩いて到着しました。


階段を上ったら、鈴木信太郎記念館です。


この写真では、木の向こうに少し見えています。


塀の材質は、大谷石です。




鈴木信太郎記念館は、20世紀前半の日本のフランス文学黎明期に、フランス文学・語学の研究体制を確率し、研究者および教育者として活躍した鈴木信太郎(1895-1970)の旧宅を改修・整備したものです。







旧宅は、1928(昭和3)年建築の書斎棟、1946年建築の茶の間・ホール棟、明治20年代の建築で1948年に現在の埼玉県春日部市の鈴木本家から移築した座敷棟の全3棟からなり、大谷石の擁壁上に所在します。






2012(平成24)年に豊島区指定有形文化財「旧鈴木家住宅」となり、現在に至っています。
























鈴木信太郎は、マラルメなどの象徴派の詩人や、ヴィヨンを中心とする中世文学を研究し、フランス文学者として功績を残しました。











最初、本当に人が座っているのだと思ってギョッとびっくりしました。











見学者はいつも少ないみたいです。


この日もお二人としか会いませんでした。


ゆっくり見学できるし、建物と庭の雰囲気が好きでした。





























自宅に鉄筋コンクリート造の書斎を構えました。


1925年に私費留学生として渡仏、1926年に父政次郎の危篤の知らせを受け、留学を切り上げてシベリア鉄道にて帰国。


帰国時にフランスから送った本約1000冊が船火事により消失したことが判明、落胆し神経衰弱に陥った。


これを教訓として、自宅に鉄筋コンクリートの書斎を構えたようです。









信太郎の書斎では、主にフランス文学に関する信太郎の著作と蒐集資料を5つのコーナーに分けて紹介してあります。



















書斎の南側には、5つのガラス窓があり、その上部に信太郎自身のデザインによるステンドグラスがはめ込まれており、その中にはフランス近代の象徴派詩人ステファヌ・マラルメの有名な言葉が記されています。





「旧鈴木家住宅」は、1918(大正7)年の当地居住以降、庭付き一戸建て住宅の利点である敷地南側の広い庭を利用しながら、数度の増改築を経て、現在の三棟構成となりました。



東池袋の近代的なビルやマンションが建ち並ぶ中に、明治~昭和の古い一軒家がポツンと建っているのが珍しく、不思議な気持ちになりました。