3月26日



『自由学園 明日館』(じゆうがくえん みょうにちかん)に行きました。



東京都豊島区西池袋2-31-3



JR 池袋駅 メトロポリタン口より徒歩5分


見学のみ・・・500円


喫茶付見学・・・800円(珈琲、紅茶&焼き菓子)


私は、喫茶付見学にしました。





雨が降りました。



この日にしたのは、講堂喫茶付見学できる日が決まっているからです。


ホームページの見学カレンダーで見たら、この日が空いていました。








初めての訪問です。




自由学園は、羽仁もと子・吉一夫妻により大正10年(1921)に女学校として創立されました。


知識の詰込みではなく、自ら考え学ぶ力をつけることや、生活即教育をモットーとして、昼食の調理を始め学校生活の役割を生徒自身が担う、という教育方針は、大正デモクラシー期の自由教育運動の中で、代表的な存在となっています。


『明日館』はその自由学園誕生の校舎です。
アメリカが生んだ建築の巨匠フランク・ロイド・ライトと、その弟子の遠藤新の設計になる建築です。




本当は晴れた日が良かったのですが、見学カレンダーに講堂食堂でのお茶付き見学ができる日がこの日以後はあまりなく、雨の日でも桜が咲いている間に行くことにしました。





受付で800円払いました。





この窓からの桜の眺めも楽しみです♪











校庭から桜と『明日館』を撮影


平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。

建築の特徴・・・軒高を低く抑えて水平線を強調した立面、幾何学的な建具の装飾は、「プレーリーハウス(草原様式)」と呼ばれる一連のライト作品の意匠を象徴しています。

日本に残るライト建築の特徴である大谷石が多用され、建築の基本構造が現在の2×4工法の先駆けと言われるなど、他の日本建築には見られないライトの作風を示す典型的な建築です。






受付を済ませたら、ここから入ります。




玄関




玄関に置いてありました。


自由学園移転後「明日館」と命名

生徒数増加により、さらに広い土地を求めた自由学園は、昭和9年(1934)東京都東久留米市に移転しました。

その後、羽仁夫妻が自由学園と日本の教育の明日を託して命名した「明日館」は、卒業生の諸活動の拠点として使われてきました。

幸いにも関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ、戦後は自由学園生活学校の校舎としても使われました。





この階段を上ると、食堂です。




外光を巧みに取り込み、幾何学的な装飾を用いて変化を富ませた内容空間は、ライト建築の特徴をよく表しています。





食堂の三方に配された小食堂は当初バルコニーでしたが、生徒の増加により、大正12-13年(1923-24)の間に遠藤新の手で増築されました。




女学生達は、自分達で給食を作り配膳して、この食堂で食べていました。




見学の予約は不要でした。

受付で「先に食堂に行かれますか?」と聞かれたので、「はい。」と答えました。






















ライト自身がデザインしたという照明は、当時からのものです。




珈琲とパウンドケーキ


ホールのテーブルで食べている人もいました。



この食堂を描いていますね。











現在の自由学園

東京都東久留米市に移転した自由学園は、現在は幼児生活団(幼稚園)、初等部(小学校)、女子部・男子部(中学、高校)、最高学部(大学)の生徒学生800人が学んでいます。





庭の桜


芝生は養生のため、立ち入り禁止




ホールの窓からは、桜が見えました。


写真では伝えきれない素晴らしい眺めでした。


椅子に座って、ゆっくり眺めました。


ホールは、女学校当時、毎朝の礼拝をしていた部屋です。

修理前の窓は上下二分割されていましたが、竣工当時の形に復元しました。






ピアノと三人の少女

ホールにあります。

『思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ』

自由学園のモットーを三人の少女が体現しています。

1931(昭和6)年に創立10周年記念作品として生徒が制作しました。




この可愛い椅子に座って、窓から見える桜をゆっくり眺めました。





ホールの西側の壁面には、自由学園創立10周年を記念し旧約聖書「出エジプト記」の一節を生徒が描いた壁画があります。

長い間漆喰の下に埋もれていたものが、修理工事の際に現在の生徒の手で蘇りました。



三人組の女性(30歳くらい?)が「写真をお願いしてもいいですか?」と声をかけてこられました。

「全体にするとお顔が小さくなりますよ。大丈夫ですか?上半身だけにしますか?」と聞きました。

「小さくなってもいいのです。みんなでここに来たということがわかれば・・・。」

もしかしたら、この女性達は自由学園の卒業生かなと思いました。(雰囲気からおそらくそうでしょう。)

なんだか心がほんわか温かくなりましたおねがい花






教室





教室からも桜が見えるなんて素敵。










入学式を行った教室










菱形の窓








オリジナルの床材(米松)








明日館が女学校として使われていた当時(大正10~昭和9年)教室に照明はありませんでした。


雨の日などは、この明るさで授業ができたの?と思うような暗さです。




ホールの壁画と椅子















フランク・ロイド・ライトと明日館にまつわる資料を展示しています。

ライト関係の書類を閲覧できます。

































ライトのマリオネット







ボサノバみたいな癒される曲です音譜





中央部断面の模型






フランク・ロイド・ライト






ホールの二階からも、窓と桜が見えました。


一階からの眺めとは、少し雰囲気が変わります。


それにしても、この学校の窓は本当に変わった形ですね!









旧帝国ホテル解体部材

羽仁夫妻は、友人の建築家 遠藤新を介して、当時帝国ホテル設計のために来日していたフランク・ロイド・ライトに校舎の設計を依頼しました。

ライトは羽仁夫妻の教育理念に深く共鳴し、設計を快諾したと言われています。

大正11年(1922)に中央棟、西教室が竣工、大正14年(1925)には、東教室棟が完成、昭和2年(1927)に講堂が完成し、その年に初等部も設立されました。


 



道路を渡って反対側に『講堂』があります。





『講堂』に入ってみましょう。




生徒数増加によりホールが手狭となったため、遠藤新の設計で建てられました。






2階から講堂の内部全体を見渡しました。



右手に少し桜が見えています。




『講堂』の二階からも桜が見えましたおねがい




学問の梟(フクロウ)





門がお洒落でした。




講堂の駐車場から撮影

『校庭の桜、明日館、講堂』

雨のポツポツという音も入っています。




校庭の桜は、樹齢60年くらいです。

1921年の開校当時は、駐車場側に樹齢100年の桜並木があったそうです。








この一本だけは、大島桜です。







『ABC canteenルミネ池袋店』で夕飯





眺めはいいです。









タルタルチキンタツタ定食

自家製タルタルソースは、しば漬けがアクセント


厨房が忙しさのあまりガチャンガチャンと凄い音がしていました。


次回は、違うお店にしようと思います。






サイモン&ガーファンクル

『サウンド オブ サイレンス』

映画『卒業』(1967年)の主題歌


『フランク・ロイド・ライトに捧げる歌』のサイモン&ガーファンクルで私が一番に思い浮かべた曲です。

ダスティン・ホフマンが好きな女の子の結婚式に乱入して、その女の子を花婿さんから奪ってバスで逃走するシーンが有名ですよね。

なんとも切ない気持ちになる音楽です。



フランク・ロイド・ライトは、帝国ホテルの設計とは違い、自由学園の設計はシンプルにして帝国ホテルのように建築費用がかからないようにしてくれたそうです。


帝国ホテルの設計で忙しいのに、女学生達の学びのために自由学園の設計もしてくれたみたいです。


そこが、私の感動した部分です。