それはもう、自分が、このまま死ぬんだなって、
死を受け入れる気持ちになってしまったもんだから。
昨日の記事には、明るく書いてみたけど、
十分頑張ってきたんだから、
いつ死んでもかまわない。
そう思って、安堵したと思ったら、
とたんに、涙がこみ上げてきました。
自分は、死んでもかまわないなんて思ったのに、
なんで、悲しいんだろう。
それは、
「池田淳」
という、
存在が、
一人の人間が、死ぬ。
と思ったから、
悲しくなったのです。
それは、意図しようしてなくて、
ただただ、湧いた感情なのです。
「死んでもいい」
と思ったから、といって、
「悲しくない」なんて、そんな理屈じゃないんです。
「悲しい」のは「悲しい」からなんです。
前に同じようなことがありました。
実家で、小学生の頃から飼っていた、愛犬が、
僕が社会人になってから、実家を出て、
なかなか会えなくなって、
どんどん衰えていって、
いつ死んでも後悔ないように、精一杯愛そう。
そう思って、
寝たきりに、なった時も、
最後の最後まで、愛そう。
だから、例え死んでも、泣かない。
泣くのはこの子に失礼だ。
そう、思って。
だけど、
忘れもしないクリスマスの夜
夢にその子が出てきて、
最後に会った時の、寝たきりとは違って、昔のように元気な姿で、
実家に帰ってきた僕に、尻尾を振る犬。
夢だとも、思わずに、
元気になったんだ~✨良かったぁ🎵って、
ふわぁっと、いい気分で目が覚めたら、
携帯がなって、
母から
「クリスマスに天国に行きます🐶いっぱい可愛がってくれてありがとう❤まさより」
とメールがあり。
夢とのあまりの落差に、僕は声を出して泣きました。
あの時の、心から湧いてくるような、感情。
悲しみ、寂しさ、
を、
昨日も感じたのです。
そう。
だから、感情って、理屈じゃないんだなって。
なんで感情を、コントロールしようとしているんだろう。
いつだって、想像を越えた先に、感動はあるのに。
その感動は、
喜びでも、悲しみでも、
きっと同じことだろう。
そして、昨日の、あの自殺の遺言みたいな空気になった記事を書いて。
目が覚めた今日。
なんだか、嘘みたいに。
元気。
ってか、天気良いし。
(笑)
癌なんじゃないかとか、考えてたのに、頭痛もどっか行ってるし、
食欲無くて、流動食しか食べれなくて、
飲み物と、おかゆと、ゼリーで2日くらい過ごしたら、
下っ腹が、ぺったんこになったり。
体も足のむくみがなくなってる。
どうりで足取りが軽いわけだ。
なんだか、仕事も前向きに楽しく感じてきちゃったり。
いくらなんでも、落差ありすぎだろ~
なんて思ったけど、やっぱり楽しくて(笑)
思えば、ここ何年かで、どんどん感情の波が激しくなってきてる、、
というか、
もともと、人生の波って、あるんだけど、
その感覚がどんどん小さくなってきて、
だから、食欲とかも変わったり、
感情も、本当に変わったりするし、
これって、
躁鬱なんじゃないか!
って、思ったんですよ。
そんな軽々しく病気だ、障害だと当てはめるなと、思うかもしれないけど、
いや、きっと、これがそうなんだろうなって。
少なからず、そういう人の気持ちが僕はやっと理解できたつもりです。
だからわかったのは、
それって、すごく人間らしいってこと。
感情の起伏が激しいって、
すごく人間らしいじゃん。
それがコントロール出来ないって、
いやいや、そもそも感情はコントロールするものじゃなかったじゃん。
赤ちゃんってそうだったよね。
僕は、わりと感情の起伏を表に出ないタイプだったから、
だから
「安心感」とか「安定感」とか、言われてきたし、
それが長所だと思ってたし、
その状態でいたいと思っていた。
だけど、そんな自分でも、
やっぱり波はあった。
それは、全然人から見たら、わからなくて、
じわじわーっとしたものだったから、
離れて見れば、波の大きさはおっきいのに
「今ここ」の自分や、まわりは気付かない。
だから、「気付いて欲しい」が沢山たまっていたし。
「気付いてほしい」
から
「気付いてあげたい」
にすり替えてた。
だから、自分でもわからない理由で感情の、起伏が出てきた~
って、
いやいや、
わからない、
というか、
鈍ってしまったいるだけで、
その「感情」には、絶対「理由」がある。
どんなささいなことでも。
その「理由」を知ることが
「コントロール」や「支配」に繋がってしまうから、
こじれてくるのだ。
自然がそうであるように。
宇宙がそうであるように。
そんな、生き方がしたい。
だから、今は、
感情を取り戻してるとこ。
なのだ。
(笑)
ひつじ@^エ^)
