本当は、いつも安楽に身を埋めていたかった。ストレスとは縁遠い生き方がしたかった。実際にそれは難しい・・・



 人生、さぼってると負債〈ツケ〉として回ってくるそうな。苦痛から逃れたかった。逃れるのに酒を飲み趣味に逃避しても、却ってストレスが増えただけだった。



 学校は本当は辞めたいし、勉強してることに興味はないのだが、イヤイヤ通っている。勉強してると、昔の事が感覚的に呼び起こされるようで、またストレスが溜まる・・・



 まさか、羊を飼って生計を建てるのもムリだろうしな・・・



 卒業したらまたパソコン買って、いろいろ収集したい。集めた物の大半はロクでもないものだったが・・・パケット定額やめてネット環境にしようかなー。
久しぶりに部屋掃除。掃除機をかけたのは数ヶ月振りだ汗



 理想の自分、あるいは自分より優れた人物が振る舞う行動と、現状の自分との溝。自分がそんな優れたものに倣おうとすると、理不尽にも、妙に気疲れだとか、怠けたいとかいう庶民の一般的な感情が噴き出してくる・・・まあ元来そんな人間だし・・・


 もし、物語だと(仮定)すれば、自分ならそんな困難ないし溝を、主人公にどう乗り越えさせるのか・・・いろんな物語を見てきたが、どれも著者独特の言い回し、筋運びのクセみたいなものが感じ取れた。もし自分なら・・・そして現実的にどうするか・・・



 自分が納得して事に取り組むための考え方と言うものがあり、結局のところ、誰もがいつかはそんな思考様式を確立しようと足掻く。そして、いったん確立されると頑迷にそれに固執し、対応しきれない事態に直面すると、自我の危機に陥り、頭を抱える。



 命は遺伝子を次代に運ぶ揺りかごだ。人生は本質的に意味などない。それぞれが見いだして決めるしかない・・・そこに虚無と絶望を感じ取ったとしても無理はない。



ただ、犬に犬として、猫に猫として、羊に羊としての幸福があるように、人間にも普遍的に感じる幸福がある。その事が救いだ。



 物事に対するやる気はなく、普段から人に対する興味が薄く思いやりに欠ける自分。最近では自分の本質を取り繕うのも難しく、接客的な笑顔が作りがたくなってきた。早い話が今の課題を放り出して、好き勝手に放浪などしたいと思っているのである。



 これから先の道のりと深刻に矛盾しており、まぁせめて職場に居る間は人に対する興味を持とうと思ったりする。どんな職場になるのか知らないが。
 日々ストレスを感じる。酒や遊びなどで紛らわさないから・・・少なくとも一部はガマンしている。


 反発や怒り、そんな不合理な感情と向き合わなくてはならないから・・・。

 考えてみれば、人間とはなんて矛盾した生物なのだろう。タバコはやめ(別に吸ってないけど)、コーヒーは我慢し、余計な事に金を使わない方がよほど合理的だ。



 そんな自分を殺すような生き方をして楽しいだろうか?と言う人もいるだろうし、オレだってそう思う。


 合理性とは無私に徹し、論理的に生きることだと感じる。誰しも自分の理想と現実に矛盾点を見いだし、苦悩する、そんな現実の中で・・・



 ストレスや苦痛、葛藤などとは縁遠い生き方をしたかった。つまらない序列など関係なく・・・そんな桃源郷、もしくは小説や昔の物語の様な生き方は出来ないし、現実に作り出すことは出来なかった。 かっての社会主義でも、「先進国」と称されるような国になっても・・・物質的な豊かさを得ても、かえって苦悩が増えただけだった。それが代償だと言わんばかりに。



 いつも最良の言葉を選び出すのは自分だった。これからもそうだろうと思う。最良の相談役〈カウンセラー〉は常に自分だけなのだから・・・