苦労をかける | ひつじですぅ

ひつじですぅ

茨城県県南地域を中心に司会、アナウンサー、コミュニケーションコーチング、各種スキルアップ研修、ISD個性学のインストラクターをしておりました。現在は新事業エステサロン経営。
乳がん闘病から10年を迎え、がんサバイバーとしても発信を再開します。

「親が背負わなくてはいけない苦労を、子供に背負わせているのかもしれないよ」

そう教えていただいた。

あぁ、そのとおりだ、と気が付いた。

「どうしてこの子はケガばっかりしてくるのか」とか、
「なぜいうことを聞かないのか」とか、
「トラブルばかり引き起こしてくるのはなぜ?」とか。

なにか、事が起こった時に子供を責める気持ちが先に立つ。

「いくつになっても親は親、子は子」

その立場は変わらないけれど、
「心配という名のマイナス発想」は、時に子供の立場を、ココロを危うくする。

親だから、と、
子供より上の年齢だからと言って、
いつまでも親に苦労をかけて、と
考えること自体、
そして、なんで?と責めるココロを持つこと自体、

なんという上から目線の「親」なんだろうと気が付いた。

親の方が先に逝く。
ただそれだけのことなのだ。

遺していけるものなんて、何もないのだ。

子供が居ることで、人は親となる。
子供のココロの成長の速さに、親の方が追いついていないけれど、
生まれてから大人になるまで、
始めは何もできない赤ちゃんだったのが
だんだんと大人になって、カラダもココロも親をしのぐほどとなる。

苦労をかけているのは、親の方なのかもしれない。
色々な しがらみのせいにして、
自分が、変わろうと努力するどころか、
自分自身と向き合うこともしないで。

経験上、自分と向き合うことがいかにつらいかを想像できるから避けているだけなのに、
自分から逃げずに辛抱することはしないでいたら、
子供に、いったい、何を教えられるのか。


「子は親の鏡」なのだ。
自分の子を見て、自分をいい方向に変えていく、それが学ぶこと、のはず。
頭でわかった気になって、
実は何もわかっていない、ただ単に年齢を重ねてしまった大人で、親で、いてはいけないのだ。

苦労が多い、ということは、それだけ自分を知らないということ、
苦労はそれを知らせるために、気づかせるために起こること。

だから、子供のことで思い悩む、心配するということは
それは親自身が、自分を省みるチャンスになる、はず、なのだ。

すぐにはできなくても、
きっとできるようになる。

あきらめない。

だから、子供が困ったことになったら、
親が、まず、素直に受け入れる。
そして自分を省みる。

今すぐ、やろう。

生きていれば
色々な立場や役割が伴う。

親として、
子供として、
仕事の役割として、
人間として…

親が未熟であれば、
その苦労は子供へと流れていく。

そうじゃぁない、
そんなことは思ってもみない。

子供には苦労をさせたくない、
と苦労をしない、させないために知恵を絞るのではなくて、
苦労が自分の目標や夢をかなえてくれると
素直に受け入れて、解決していけばいい。

周囲の人から教えていただける、
そんなチャンスをいただける、
それは、子供から学べることも多いはずなのだ。


未熟な親だからこそ、
子供に教えてもらいながら、歩んでいこう、生きていこう、そう思った。

子供にも、その存在に「ありがとう」と感謝しよう。

そして自分の親にも、「ありがとう」と感謝しよう。