特に演歌ファンというわけではありません。
それどころか、
フォーク
↓
ロック(洋楽)
↓
ポップス(洋楽)
↓
J-POP
↓
クラッシック、ジャズを含めて何でも来い ←イマココ
で育ってきた私は、「演歌のCDは買ったことがない。」と友人だった家内に言っていました。
しかし、結婚して数年経った頃のことです。
夜中につけていたラジオから流れてきた、
に思わず「上手いなぁ」と呟いたのが寝ている筈の家内に聞こえてしまって「貴方、演歌は聴かないんでしょ」と言われたことがありました。
それからは八代さんの曲は時々、しかも堂々と楽しむようになりました。
皆さんご存じの通リ、八代さんは熊本県八代市の出身なので芸名を「八代(ヤシロ)」とされました。
正確な地名は「八代(ヤツシロ)」ですが人吉球磨では「八代(ヤッチロ)」とも呼びます。
また、当地に移ってきてから少し経ってからのことです。
多良木町で開催された「第2回たらぎ農林商工祭り」の歌謡ショーに八代さんが出演されました。
天下のレコード大賞歌手ですし、NHK紅白歌合戦の大トリを2年連続で務められたので、専属のバックバンドを連れてこられると想像したのですが、なんと、CDラジカセで、
を歌われたそうです。
ここで「そうです。」とワザワザ断るのは、私は所用で行けなくて知人から聞いた話だからなので、万一、違っていたら御免なさい。
そんな八代さんは、地元の熊本県のことを思う気持ちが強い方で、3年半前に豪雨災害で大きな被害を受けた球磨村を訪れ、
ミニコンサートを開いて、仮設住宅での生活を余儀なくされている人たちを励ましました。
とNHKのwebsiteが当時の動画と共に報じていますが、この時も、パイプ椅子に座った生ギター演奏者だけで歌われたようです。
なぜこんなことを書くのかというと、私が中学生時代のことですが、友人の兄さんが在学する大学の学園祭の実行委員をしていて、某人気グループを呼ぼうとして交渉した所、「アンプはGibsonの何々でなければいけない、マイクやスピーカーもコレコレを用意して下さい。」と散々注文を付けられて苦労したことを聞いていたからです。
更には、その中学生時代から聞き続けていた深夜放送「走れ歌謡曲」では、八代さんは長距離トラックドライバーさんの間で既に人気だったのですが、後に、
1977年の映画「トラック野郎・度胸一番星」でダンプの運転手を演じたことを機に“トラック野郎の女神”として多くのファンを集めた。
のに関連して、
八代さんが大型トラックを運転できる「大型自動車第二種免許」を取得していた
と我が巨人軍ファンの代表でもある徳光和夫さんがココで語っておられますが、元ダンプ運転手だった私の知り合いの人が「八代さんはトラックの運転が上手いんだけど、あれは相当に早い時期から乗っていた筈だ。」と無責任なことを断定的に言っていたものの、お父さんは運送業をしておられたとココに書かれていることと無関係ではないのかもしれません。
でも、そんな八代さんだから、どんな環境でも、どんな人を前にしてでも聴かせることができたのでしょう。
なので、当ブログで何回も書いている肥薩線再開の折には、始発駅である八代駅でコンサートを開いて八代さんに歌って頂こうと、密かにオファーを考えていました。(^O^)
ところで、その八代駅の近くに八代ナザレ園という児童養護施設があった(現在は新八代駅近くに移転)のですが、
熊本県に来ることがあれば少しの時間でも同園に立ち寄り、子どもたちと触れ合っていた。
ことが集英社オンラインでも報じられています。
私も所用で同園を訪ねたことがあって、その時に八代さんが来られるれることを聞いていました。
一般には、salitoteのインタビューにあるように、
ずっとボランティア活動として、女子刑務所の慰問を続けてこられてます
ことの方が知られていますが、子供も含めて広く多くの方に寄り添っておられたのでしょう。
そんな八代さんが紅白歌合戦で歌う姿をもう一度見たいと思っていたのに、その紅白の前日である昨年の12月30日に亡くなられたのは何か意味があるように思えてなりません。
他方で、ココらあたりで出てくるような事情があったのかどうか分かりませんが、RealSoundに書かれているように、
ジュリー・ロンドンのハスキーかつカッコいい声に惹かれ、「この曲を覚えたい、こういう歌を歌いたい」と思ったことが、歌の道を志すきっかけ
だったからか、晩年にはジャズ、ブルース歌手として活躍され、
2013年3月27日にニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催
されたのですから、むしろ良かったのではないかとも思います。
その時の様子は、
で見ることができますが、凄く生き生きとしておられます。
このクラブはタイムズスクエアの近くですし、グランドセントラルステーションへもほぼ真っ直ぐ
ですから、きっとココで牡蠣
を召し上がった筈だとも思いました。
そのライブの最初の曲は、ジュリー・ロンドンに因んでか、Fly Me to the Moon
Fly Me to the Moon
Let me sing among those stars
ということなので、月に行かれて星に囲まれて歌っておられるのでしょう。
最後になりましたが、八代亜紀さんの安らかな眠りを心からお祈りいたします。