明日から「清流山水花あゆの里」さんが営業再開されます。

お隣の老舗の鍋屋さんと共に人吉市のメインストリート九日町に並ぶ人吉球磨で最大級の旅館であり、ようやく揃った感があります。

ご近所では「上村うなぎ屋」さんが盆前に先行して営業を再開している一方で、味噌饅頭で知られる1904年創業の和菓子店「濱田屋」さんが既に閉店していたのは、とても残念です。

 

 

 

復興に向けての動きはまだまだこれからです。

なのに、少し前まで、あっちこっちで掲げてあった

 

人吉球磨豪雨災害復興プロジェクトさんのサイトより拝借しました。)

の垂れ幕やポスターを昨日の午前に市街区に出かけたときには見かけませんでした。

調べてみると、この「人吉球磨豪雨災害復興プロジェクト」を企画したのは人吉球磨観光地域づくり協議会さんなのですが、やまとごころ.jpさんの情報によると、

 

人吉球磨は、一つのエリアではあるものの、市町村それぞれの観光戦略がバラバラでした。それらをひとつにまとめて地域全体での戦略を立てることが、地域活性の鍵となると考えたのです。官民の若手を中心とする組織ですが、民間主導でビジョンを設定し、主体性と継続性を持って活動をしていくというのが大きな特徴

 

だそうで、球磨郡あさぎり町をベースに活動しておられ、観光DXとデジタルマーケティング~人吉・球磨を「日本を代表する地方」に~などにも取り組んでおられます。

でも、いわゆる観光協会との関係がどうなっているのかが分かりません。

JR肥薩線人吉駅構内を本拠とする一般社団法人人吉温泉観光協会は、定款に

 

人吉球磨地域における観光振興とコンベンションの誘致を図り、もって地域経済の活性化、文化の向上及び国際、国内観光の人的交流による相互理解の増進に資することを目的とする。

 

と書いてあるのに、サイトの内容が人吉中心となっていますし、球磨郡各町村へのリンクや先の人吉球磨観光地域づくり協議会の紹介もありません。

元々は、人吉観光協会だったそうで、人吉市ウェブサイトでの表記から、人吉市経済部観光振興課の外郭団体が母体(間違っていたらゴメンナサイ)だったからかもしれません。

話を戻すと、人吉球磨の復興はこれから始まるのです。

そんな時にバラバラで活動している余裕はありません。

「いろんな団体がそれぞれで活動してゆけばよいのではないか」という意見が出てきそうですが、今は窓口やメッセージの統一が必要です。

その為の改革案として、

  • 「人吉温泉観光協会」を「人吉球磨観光協会」に変更
  • 人吉市と球磨郡下町村の自治体や法人・個人との連携を明確化
  • 人吉球磨観光地域づくり協議会や他組織の機能の取り込み

の3点を先ず提案します。

人吉球磨を一本化して、「温泉」だけでなく地域の魅力を幅広く伝える姿勢を「見える化」し、事業活動の結果を計測できる仕組みを作ることが急務だからです。