音とは何か | あつぎの森ブログ「厚木産婦人科日誌」

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厚木産婦人科でのいろいろをお伝えしていきます

 

 

ブログの読者さんであり、厚木産婦人科の応援者の一人、まいちゃんさんが、最新のブログで紙の本の有難さについて触れていた。

まいちゃんは大学でフランス語を教えている。この度大学を退官されることとなった先生から研究室の本を譲り受け、自転車で今せっせと本を自宅に運んでいるとか。

 

 

 

 

今の人は画面で安価に読書するようであるが、紙のページをめくり風に当たりながら文字を追う時間は、このデジタル時代、とても贅沢な時間になっているのかもしれない。

 

いつも鞄の中に本を一つ忍ばせている安心感もある。スマホを開けば何でも検索できて閲覧できるのに、なぜかこの習性は学生時代から変わらない。趣味の分野でも同様で、料理や園芸などについてもやはり紙の本を開いて読んでみたくなる。

 

今取り出したるは、『人間と音楽』というタイトルの書籍である。

 

 

 

 

音楽とは何か。なぜ人間は音楽を作り出したのか。音楽の目的は何か。

 

抽象的に語るのではなく、文化史的な視点から、そして、今世紀最大のヴァイオリニストであるイェフディ・メニューインの人生体験を通して描かれている点が興味深い。

 

1983年著ゆえ綺麗とはいえない装丁であるうえ、中古独特の黴臭さもある。

 

 

 

 

音楽は人類最古の表現様式であり、言葉や絵画・彫刻などよりも長い歴史をもっている。言葉は抽象的な符号であり、事実に関する意味を伝達するに過ぎず、使用は8万年前にさかのぼるのに対し、歌はそこからさらに50万年さかのぼる。音のほうが言葉よりも人への伝達内容量がはるかに多いのである。

 

たとえば、動物の鳴き声はコウロギにしろカエルにしろ、「私はここにいるよ」という呼びかけである。音声は最も基本的な自己保存の手段なのである。

 

 

 

 

赤ん坊が出産の産声を上げるが、それは新しい独立、将来の責任と希望を告げている。喜びでもあり別れの声でもある。羊水の中で絶え間なく聴き続けた母親の心臓の鼓動が消え、それをこの世の新世界の音で漸次置き換えていくのだ。

 

だから、まぶた、はあっても、耳ぶたはないだろう。目は異物が角膜を傷つけるなど危険回避するために閉じることはあっても、耳を完全に閉じてしまったら生命が安全に生存していくことができないからである。

 

それくらい音声、音楽は人間にとって大切なものなのである。

 

 

 

 

音声から始まった動物の自己保存のためのコミュニケーションが、作曲家が楽譜に表現する音楽となり、作品として何を目的として生まれ、今後存在していくのか。

 

クラシック、ポピュラーの区別なく、西洋音楽、東洋・アフリカなどの民族音楽の壁をもたず、人類の平和や幸福に貢献していくことが音楽の目的だろうと私は思う。

 

いまなお戦いが続いている地域の戦場に、美しい音楽でも流したらどうかと思う。人間に向ける銃や砲弾の音声には未来がないことを瞬時に悟るに違いない。