御出産の場である厚木産婦人科。24時間365日稼働している医療現場だ。

 

ママたちの第2のお家なのだから、いつもママを見守るほのかな灯をともしていたい。

 

 

 

 

創業60年。リニューアル10年へ。10年経つと、医療だけでなくもろもろが古くなる。

いつも新しいことを意識していないとどんなこともすぐ時代遅れだ。

 

ちょうど今、10年に向けて進化計画を練っている。

 

 

 

 

コンセプトはすべて、自分自身の子供たちを出産した時の思い。

 

自分のお産の時に最も嫌だと感じたのは、病院の「金属のカーテンレール」。

キリキリと痛むお腹がさらに痛みを増すようで、医療医療した建築は何とかならないのかな、とその時に思った。

 

 

 

 

また、お産後は細かなことはすべて忘却し、唯一の楽しみの記憶が食事だったこともあり、私自身、今、おいしい料理作りには口を出し過ぎこだわりすぎて、最近は厨房にきっと嫌がられているにちがいないというふうになりつつある。

 

それに、医療人たちは意外に食に鈍感で、忙しいことも理由だが、食が杜撰。

空腹な胃袋を適当に何かで埋められればいいという先生が圧倒的に多い。

 

 

 

 

そんなこともあって、目にも胃にもやわらかでワクワクするお産の現場作りを心がけている。

 

今日は板前さんと魯山人の話が出て、あ、これを機にもっと勉強してみようか!という気持ちになった。

 

 

 

 

北大路魯山人は、有名な芸術家だ。

料理家でもあり、作陶家でもあり、書家でもあり、画家でもある。

 

おいしい料理のために自分で窯元や美食倶楽部まで作った。

漫画『美味しんぼ』の登場人物のモデルだ。

 

 

 

 

贅沢な人なのかというとそうではなくて、ものすごく不遇な幼少時代、貧しい生活を送ってきた。

産まれてすぐ養子に出されたので親に愛された記憶もなく、確か8回くらい結婚離婚をくり返している。

天才にありがちな一見変わった横柄な物言いと性格のため、人からよく嫌われた。

 

 

 

 

歴史に名を残すような人はやはりすごくて、3歳の時、養姉と散歩に出かけた折、京都のきれいなツツジが咲き競う光景を見て、

 

「自分は美とともに生きよう」と、感じたそうだ。

 

 

 

 

人間国宝認定の要請にも、「そんなアクセサリーはいらない。私の作品が物語っていることがすべてだ」と断る。

 

気持ちがいいくらいきっぱりと、自分の物差しを持った人だったのだと思う。

自分のやりたい事を追究し続け、やり尽くしたのだから、きっと楽しい人生だったろう。

 

遠く及ばない人だが、とても勉強になる。

 

 

 

 

ああ、これからもおいしい食事の出る産婦人科さん、痛さを忘れるくらい楽しみなクリニックさん、と言っていただけるように少なくとも自分のできることはすべてやっていこう、と思う。

 

がんばればがんばるほど職人さんには嫌われるだろうが、相手にしてもらえるように、少なくともがんばろう。

 

魯山人『人と同じことをやっていてはだめ』