2011年8月16日 石巻 活動報告 | ONLY ONE HEART 東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム 

2011年8月16日 石巻 活動報告

昨夜はタカシ達と別れた後、山道の路肩で仮眠を取った。
翌朝、すっごく人の良さそうなおじさんに声をかけられ起きた。
「あんた~気持ち良さそうに寝てっから起こさなかったけど、ちょっと中に入れてくんねえか?」
よく見ると、道路の工事中だったらしく、俺が車を停めた辺りが出入り口だったのだ!
「あ!すみません!今すぐどかします!」
車をどかした後お詫びに行くと、なんと30分も起きるのを待っててくれたらしいです。

いや~夜は全く見えなかったなぁ(汗
本当にすみませんでした。

おまけに水筒からお茶をコポコポ注いでくれて「あんたホラ、汗びっしょり」と、お茶までいただきました。
ちょっと汚れた水筒だったけど(笑)一気に飲み干し「ごちそうさまでした!一日頑張って下さい」
とお礼を言ってその場を後にしました。

人柄がよくて、東京では考えられないような出来事でした。

さて!東京組と待ち合わせしている石巻の道の駅「上品の郷」に向かう。
南三陸からスイスイと40分程で到着。ちょうどMさんが車から降りて来たので朝の挨拶。
スムーズに来れたようだけど、ドライバーさんが「かなり飛ばしてきた」との事。

ちょっと話しが横にそれます。

いつも思うのだけど、スピードを出す事って、決してカッコいい事では無い。
アクセルは誰でも踏めるけど、そのスピードが乗った車体を万が一の時に、
ブレーキでコントロール出来るんだろうか?と常々思う。

俺にはその自信はありません。だから飛ばさないし、安全運転に徹する。

有名なF1ドライバーでさえ高速時にトラブルがあれば
「私でも一般車では制御不能になるだろう」、そう述べている。

ましてや、他人様の命を乗せている。
「その人にとってはどうでもいい命」かもしれないが、
同乗者には家族や恋人や大切な人がいます。

その辺を本当に頭に叩き込んで運転して欲しいと切に願います。

それから、なぜこの「安全運転」を口酸っぱく言うかというと、

事故を起こせば東北に繋がる唯一の「命の道」を塞ぐ事になりかねない。

これは本当に勘弁してほしい。
だから、俺は飛ばし系のドライバーさんには「くれぐれも安全運転でお願いします」とお願いしています。
(大抵の場合ムっとされるから、本当はあんまり言いたく無いんだけどね)

事故の確率が増える人の運転パターン

スピードの出し過ぎ

車間距離をとらない

この2点です。思い当たる方は。どうか安全運転でm(_ _ )m

さて、話しを元に戻します。

さてさて、本日は大阪から和菓子職人ケースケ家族がやってきます。
彼らについては前回記事を参照して下さい。

ケースケにとっては念願叶っての被災地入りです。
緊張したような張りつめた顔をしていたのが印象的だった。
色んな思いを乗せここまでやってきたんだろう。

先ずは炊き出しの入り時間までを目一杯使うべく、急遽南三陸へ皆を連れて行きました。
ケースケ家族の車へ俺が同乗した。
限られた時間なので、町の事で補足しておいた方がいいと判断した事は説明したけど、
後はそれぞれが感じ取る事なので余計な事は言わないでおいた。

南三陸へ戻るとタカシと、後輩のユウキくんと合流。
ユウキくんは民宿「下道荘」を営んでいたが、やはり津波で流されてしまった。
が、彼は同じ場所でまた営業を再開すると言っていた。
真っ黒に日焼けしたその精悍な顔つきには「津波には負けやしない」という
強く逞しい決意が現れていました。

今さっき、タカシと電話をしたら地鎮祭が終わり、基礎工事が始まるとの事でした。
素晴らしい!
南三陸へ行った際は是非!ご利用下さいね。

新鮮料理とぬくもりの宿 下道荘

その後はタカシの案内で南三陸の現状を説明してもらいました。

それぞれが感じた事は、本人達のブログに詳細に書かれていますので、
是非一度、読んでみて下さい。

☆K-STREET☆

YOUR BIG FAMILY

さぁ、刻々と時間は過ぎる。タカシは夜の炊き出しに来るので、一旦ここでお別れ。
ここからは俺とMさん、それから残りの東京組と、ケースケ家族と別行動。
東京組、ケースケ達は石巻駅周辺の商店街に行き、俺はMさんと丹野さんのお見舞いに行った。
丹野さんは被災し避難所にいる時に、Mさんと知り合ったという。

今は仮設に一人で住んでいましたが、「丹野さん、具合が悪くなって集中治療室に運ばれたよ」
という事は、Mさんから聞いていました。
今回、ちょうど、個室に移ったとの事で顔を見に行きました。
病室へ入ると元気そうな顔で一安心。
丹野さんも久しぶりのMさんとの再会を喜んでいました。

楽しく会話をするも無情に時は過ぎ、あっという間に炊き出し時刻。

丹野さんと別れ、炊き出しに使う食材をスーパーへ急ぎ買いに向かいました。
蛇田中学校へ到着すると、毎度の事なんですが大慌てで準備。
こっからは戦争です。
タカシも家族を連れて合流。
それから前回も一緒に行動したアツミくんも、相変わらずの笑顔で合流。

「さぁ!頑張っていきましょう!」Mさんが声をかける。

ケースケ家族とMさんはもう一カ所の避難所の山下中学校へ、夏の香味野菜とわかめ、
豆腐などを入れた冷や汁とすもも、オレンジを持って移動。

どちらも夕飯はバッチリ間に合いました。


東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム ONLY ONE HEART

東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム ONLY ONE HEART

学校を歩いていると、ふと目に止まったのがこの自転車。

$東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム ONLY ONE HEART

「お!名チャリだ!」
名チャリとは、名古屋で行われているプロジェクトで、
街なかの自転車をみんなで共有し、楽しく、健康的に街なかを移動するための
新しい自転車の使い方「コミュニティサイクル」
俺が付き合いをさせてもらってる方が関わったプロジェクトなので、よく覚えていました。
「そうかぁ、あの自転車がここで活躍してるんだなぁ。」なんか、嬉しかった。

夕食が終わり、喫煙所に居た人達に話しを聞きました。
そこで憤りを感じる見過ごせない話しを聞く事になった。
それは、この蛇田中学校に避難していた20歳くらいの若者の話しです。

俺が「仮設の申し込みは終わったの?」と訪ねたところ、

「僕の家は半壊か全壊かまだ役所から判定が出てなかったんです。
半壊なら直してまた住めるかもしれないじゃないですか?
で、判定を待っていたんです。すると最近ようやく判定が出て、結果は全壊。
もう住めません。だから仮設の申し込みに行ったんです。
すると、仮設の申し込み最終期限は過ぎましたので、もう受付は出来ませんと言われたんです。」

役所が、一番役所らしい仕事をした瞬間とでもいいますか。

当然彼は、役所の判定が遅かったと抗議しますが、「無理です」「終わりました」という対応。
彼は、仮設に入る事はもう出来なくなりました。
こんな対応は彼だけではなく、「様々な形で酷い目にあってる」方が沢山いると俺は思いました。

役所も多種多様な相談事で手が回らないんだろうが、あなた方はそれが仕事でしょう?
徹底的に告知し、認知率が100%の事案ならまだわかるが、
仮設申し込み期限がいついつ終了と全員が知っていたんだろうか?
それを「ハイ、決まりは決まりですから」では済まんて。
大変だとは思いますが、一件一件、柔軟で人間味ある対応をとるようにしてもらいたいものです。

さぁ!炊き出しが終わり、いよいよケースケ達のわらび餅を配ります。

直前に、Mさんから「ここは避難所に渡すだけしか出来ないなぁ」と言われました。
「そうなんだ?でも、それではケースケ達が実感できないから、ちょっと担当の方に掛け合ってくるね!」
と、ダッシュで担当の方に会いに行き「直接渡せませんか?」と頼んでみました。
するとあっさり快諾してくださいました。

避難所にも色々あって、物資を持って行っても最初は難色を示される場合があります。
ですが、(こうこうこういう理由で)ときちんと話しをすると快く受け入れてもらえます。

つまり、どこの誰が何を持って来たかハッキリしないものは怖いじゃないですか?
職員さんも忙しいので、そういう類いは後回しにされてしまうんだと思います。
また、すっかり疲れきっている職員さんが「面倒だなぁ」と思わないとも限りません。
だから、きちんと理由を伝えれば「それならば」とOKを貰えるんですね。

俺の仕事はここまで。

ここからは彼らの出番です!

皆さんがわらび餅を受け取りに来る。

それをケースケ、奥さん。ここちゃんが手渡す。

会話を交わしながら配って行く。

俺はその様子をちょっと離れた場所から見ていました。

ちょっと向こうにMさんも様子を見に来ていて、「配れてよかったね~」と話した。

俺も一安心。

よかったな!ケースケ!


$東北地方太平洋沖地震 緊急支援チーム ONLY ONE HEART


蒸し暑い避難所の中、このヒンヤリしたわらび餅は大成功だったと思います。
皆さん「おいしい、おいしい」と食べていましたよ。

後片付けをし、タカシ家族、アツミくんとはここでお別れ。
アツミくん、いつも支援金ありがとうな!


明日は女川。初めて行く場所です。
明日も頑張るぞと思いつつ、さすがに疲れが出て来たか、この夜は深く眠ってしまいました。

女川についてはまた後で書きますね。

お疲れさまでした!