最初に地球がありました。
人間がそこに生まれました。
人間にはほかの動物にはない魔法のような能力がありました。
「言葉」が使えたのです。
人間は、他の人間とコミニュケーションをとるため
目の前に広がるあらゆるものに名前をつけました。
地面に転がっている丸くて硬いものは「石」。
その中でも、小さいのは「小石」にしよう。
それくらいではとても石を正確に表現したことにはならないから、今度は成分で分類してみよう。
そうして、「地面に転がっている丸くて硬いもの」は石英になり、花崗岩になり、ダイヤモンドになりました。
ダイヤモンドは他の石よりきれいで硬く、数が少ないので、価値のある石ということになりました。
最初にあった、地面に散らばっていたもののことは、誰もが忘れてしまいました。
こうして便宜上つけられた名前たちは、どんどん増えていきました。
分類もどんどん細かくなっていきました。
人間の知識と技術は、急速に発展していきました。
そして現代の私たちは、
そうやって生まれた概念に囲まれて生活をしています。
お金持ちがいて、貧乏人がいて、エリートがいて、不良がいて、美女がいて、醜女がいる世界です。
便宜上生まれた言葉と概念から、人をそのように呼ぶ世界です。
しかし、言葉が生まれる以前までたどってみると、すべてのものは、そこに存在しているだけ。
人間が与える言葉や態度を変えるだけで、簡単に価値も変わってしまうのです。
これほどに揺らぎやすい外側の世界ーー現実に、私たちは一喜一憂します。
ころころと変わる社会から形作られた評価を、自分自身だと思い込んでしまいます。
美しいものも、楽しいことも、素晴らしいものも、人は生み出してきました。
けれどもダイヤモンドが手に入らないことに絶望したり、手に入れたからといって威張り散らすようなものでもないのです。
ただ便宜上、そうなっているだけなのですから。
名前をつけ、把握しようとしなければ、あなたも、ダイヤモンドも、そのへんの草も、すべて同じです。
言葉では本質を捉えることはできません。
そして言葉で作られてきたのが社会です。
だから現実は幻想と言えるのです。