台湾映画のヒットメーカー九把刀(ギデンズ・コー)監督の最新作「報告老師!怪怪怪怪物!」が7月末から公開され、話題を呼んでいたので、早速見てきた。

 見終わって真っ先に、間違いなく九把刀の最高傑作だ、と感じた。

 

 物語は、タイトルから想像がつく通り、高校生たちと怪物(Monster)との話だ。

 学校のクラスでいちばんのいじめられっ子(林書偉)は、ひょんなことからいじめのボス(段人豪)と取り巻き2人(廖国峰、葉偉竹)とボスの彼女(呉思華)を含めた4人組の仲間入りを果たす。

 あるとき、みんなで社会活動の一環として、認知症の独居老人たちが集まるアパートの掃除をしていたところ、ある退役軍人が大切にしていたスーツケースに目が止まり、盗もうと計画を立てた。

 深夜に再び集まり、スーツケースを無事手に入れたが、同時に、得体の知れない怪物も一匹捕まえてしまう。

 スーツケースの中身は、老人の思い出の写真や勲章で、彼らにとって大したことはなかったが、怪物は彼らにとっての格好の興味の対象となった。

 校内の廃屋の柱に怪物をくくりつけ、怪物の好物や弱点を知ろうと、様々な実験を行う。

 十字架を見せたり、お札を貼ったりして、怪物を弱らせようとしても効果はない。実験は次第にエスカレートしていき、歯を抜く、唇を縫う、といった残酷な人体実験にまで派生していく。

 最終的には、怪物は光に弱く、人間の血を飲んで生き延びているということがわかる。さらに、怪物の血を飲んだ人間は、同じ怪物に変身し、光を浴びると焼け死んでしまうということがわかった。

 実験的な意味も含め、担任なのにいじめがあることを黙認し、守ってくれなかった女教師に怪物の血を飲ませたところ、まんまと死に追いやることに成功し、5人の友情は怪物を手に入れたことでより深まっていく。

 しかし、5人の中で“林書偉がいじめられ役”という根本的な図式に変化はない。

 怪物が手に余るようになり、最終的に処分しようと決めた5人。いちばん危険な役回りを言いつけられたのは、もちろん林書偉。

 一歩間違えれば怪物に殺されてしまう。

 危機を感じ、一か八かの賭けに出たた林書偉はどんな行動に出るのか。

 果たして結末はいかに。

 全く想像がつかないままクライマックスを迎え、あっと言う大どんでん返しで、エンドロールが流れ始めた。

 

 空想の世界に棲む怪物と実世界の人間との物語となれば、子供騙しのようで、中途半端で陳腐なストーリーになりがちだが、この映画は違っていた。

 各登場人物の背後には、深い物語を見ることができる。

 怪物は、誰の心の中にも宿っている「醜くさ」の化身だ。普通に生活をしていても、ある瞬間から「いじめられっ子」に転落する可能性を誰もが持っている。気づかないうちに、「いじめっ子」になっていることもある。

 ちなみに、いじめを中国語では「霸凌」と書き、「バーリン(bàlíng)」と読む。これは英語のいじめ「bullying」からきたもので、英語由来の中国語として完成したのだとか。

 怪物を中心に、人の怒りや弱さ、頼りなさ、儚さなどを描き、見れば見るほど、「深い」と頷いた。

 

 九把刀は、2011年に公開されたデビュー作『那些年,我們一起追的女孩 You Are the Apple of My Eye』(2013年日本公開/邦題:あの頃、君を追いかけた)が、興行成績約4億6千万台湾ドル(約17億円)を叩き出したことで、センセーショナルな監督デビューを果たし、以来、『等一個人咖啡 』『樓下的客房』など、脚本などで関わった作品全てが高い評価を得てきている。

 ただし、これまでの作品は全て原作ありきで映画化されたものだが、今回は映画のために書き下ろした脚本を使い、映画「報告老師!怪怪怪怪物!」が完成した。

 

 実はここ数年、有名になった九把刀は、私生活のトラブルが原因で、様々なメディアから叩かれ続けてきた。SNSの進歩により、個人の情報も簡単に漏洩される時代だ。かなり辛辣な批判を受け、精神的に参っていたと本人も何かの取材で答えていた。

 いじめる側。いじめられる側。怪物。

 九把刀自身が受けてきた思いの全てが詰まった映画であり、現代社会に一石を投じる大人の内容になっていた作品と感じた。 

 

 ところで、公開から2週を経たが、興行成績は正直芳しくないらしい。

 これまでの学園青春物語に比べれば、怪物やらいじめと、負の要素が大きい内容だから受けが悪いのだろうか。 

 一方、世界の映画祭ではかなり高く評価されている。

 日本でも、学校でのいじめや会社でのモラハラ、セクハラと被害者と加害者をめぐる事件は絶えず起きている。日本で上映される日がきたら、日本人がどのような視点からこの作品を捉えるのかが気になる。

 九把刀にとって、新たな転機となる作品になるのかもしれない。