シトシト雨が降り続き、底冷えのする朝を迎えた台北。今日は、1947年に台湾で起きた2・28事件からちょうど70年目を迎えた日。

 

台湾各地で2・28事件に関する追悼式や講演会、音楽会など各種イベントが開催されました。

私の祖父・顔欽賢は当時、九份で金や石炭を採掘する会社を経営していたのと同時に、台湾省参議会参議員でもありました。事件直後にできた”二二八事件處理委員会”にも名を連ね、中華民国政府に対して和解を求める折衝役を買って出ました。その結果、弾圧が始まると同時に30名の首謀犯の一人として指名手配され、逃亡生活を強いられることになったのです。

多くの仲間が命を落とす中、幸いにも身を隠して逃げのびることができた祖父。でも、そのことは一族のなかでタブーとなり、私が大きくなってから詳しい状況を親族の誰に聞いても、多く教えてくれることはありませんでした。いま私も、祖父と父が直面した2・28事件の衝撃がどんなものだったのかを少しずつ資料と証言を集めています。

 

  

今日は朝から事件が発生した「天馬茶房」前からの行進に参加し、蔡英文総統や台北市長・柯文晢等が出席した追悼式典には「受難家族」という身分で参列しました。さらに総督府前で行われていた共生音楽祭では、祖父と同じ30名の首謀犯の一人として指名手配された蒋渭川の孫娘・蔣理容さんの講演を聞いたりもしました。

 

  

 

 

 

 

 

語りたくても語ることのできなかった2・28事件。

聞かれても語りたくもなかった2・28事件。

 

政権交代が起こり、事件の全容に対する調査や研究がより本格的に行われることになりそうです。

私も父の一族が関わった2・28事件について、さらなる真実を知りたいと強く思いました。