ドキュメンタリー好きのわたしにとって、久々に見応えのある作品だった。

監督は昨年の秋に公開された「アクト•オブ•キリング」と同じジョシュア•オッペンハイマー。両作とも1965、66年にかけ、インドネシアで起きた100万人規模にも及ぶ共産主義者と共産主義が疑われた人々の大虐殺という事実を描いた内容であり、「アクト•オブ•キリング」は加害者に焦点をあて、本作は被害者に焦点をあてた対を成す作品となっている。

加害者の中心となったのは英語の「フリーマン」を語源とした「プレマン」というヤクザのような民兵組織であり、彼らはいまだにインドネシアの社会で幅を利かせていて、特に当時虐殺をした者は英雄視されているとう驚くべき事態が横行している。

映画の始まりは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のような幻想的な物語を予感させ、ドキュメンタリー映画とは全く違うテイストで驚いたが、それもそのはず。伝説のプレマンによってどのように虐殺が行われたのか、その手法をつぶさに再現させるべく、監督は虐殺に「映画を撮る」という形で、当人たちに再現してもらい、そのプロセスを追う劇中劇という二重の構造になっていた。
伝説のプレマンたちが特殊メイクを施され、意気揚々といかに残虐に、かつ大量の人々を殺戮したのかを語り、ハリウッドスター顔負けの迫真に迫る演技をしていたのに引き込まれてしまう。
決して許されない行為をここまで正当に演じられる彼らの心のうちはどうなのか。

160分以上に及ぶ大作だが、ハリウッド映画を見ているような派手さがあり、あっという間であり、インドネシアでこのような事件が起きていたことは知らず、とてもショッキングな内容であった。

「アクト•オブ•キリング」が動的な映画だとしたら、今回の「ルック•オブ•サイレンス」はとても静かだ。
兄を殺された弟が、いまも同じ地域に住み、有力者となっている加害者たちに会いに自ら訪れ、自分の口と耳で事件について色々と聞いて行くという物語展開となっている。
無口になる者、怒りをむき出しにする者、歓迎する者…加害者たちの反応は様々だが、全編に流れる一触即発の緊張感は観ているこちら側に痛いほど伝わってきて、派手さはないが、真実の重みが画面に横たわっていた。

デヴィ夫人の旦那さんであるスカルノ大統領はまさに虐殺される側にいたため、「アクト•オブ•キリング」を観たデヴィ夫人は、歴史的に何が起きていたのかをきちんと後世の人たちに知ってもらいたいとうような感想を寄せていた。どのような事件においても、被害者の当事者はもちろん、家族も「真実」を知りたいということが一番の願いだと思う。
台湾にも共産主義社を排除するべく起きた悲劇がある。1948年に起きた228事件、その後の白色テロだ。未だに真相がわからず、苦しんでいる被害者家族たちが大勢いる。

「沈黙は武器」とも言われるが、声をあげるべきことも大切だと感じた。インドネシアは民主主義国家となっている。そのうらに、今でもこのような人々がいることは想像もつかず、複雑な思いで一杯になった。是非2作品ともに観てほしい。

6月下旬よりシアター•イメージフォーラム他、全国順次公開