12月13日から公開するシンガポール映画「イロイロ~ぬくもりの記憶」(英題:ILO ILO/中国語題:爸媽不在家)がとても素晴らしいので、是非皆さんにご覧頂きたく、紹介させて下さい。

 この映画は昨年、中華圏を代表する映画賞の第50回金馬奨で最優秀作品賞、最優秀新人監督賞、最優秀脚本賞、最優秀助演女優賞の4冠獲得という快挙をなし遂げた作品です。
 授賞式に参加できた私は、審査委員長だったアン・リー(李安)監督が、当時若干30歳のアンソニー•チェン監督に対し「とにかく素晴らしい」と褒めていたのがとても印象に残っています。
 
 映画の舞台はシンガポールの団地に住む平凡な中流家庭。リストラされたのに家族には言い出せず毎日出勤していく父親。臨月の母親は、家族との平凡な毎日に少しの不満を持ちながらも、ギリギリまで働いている。共働きの両親を持つ息子のジャールーは、家での寂しさを打ち消すようにか、学校では大のいじめっ子で、いつも両親が呼び出しされるような問題児。
 そんな3人家族に、フィリピン人メイドのテレサがやってきました。テレサにとって、家事のお手伝い以外に一番重要なのは両親不在の家でのジャールのお守り。
 今まで好き勝手にしていたジャールーに対して、テレサはなんでも正面からぶつかってきて、時にはきつくジャールーを叱ります。始めは嫌がって反抗していたけれども、徐々にそれは自分に対して関心を持っているからだ、ということに気づき、態度が変化し始めます。
 親子三人+一人の日々が過ぎていくうちに、血縁関係のある家族よりも、金銭的かつ主従関係にあるテレサに心を開き、なつくようになってしまうジャールー。
 結局、父親の失業でメイドさんが雇えなくなり、テレサはフィリピンに戻ることになりますが、そこに新しい命が誕生して映画は終わります。
 
 私は幼い頃台湾で生活をしてきました。台湾にいたころ、貿易をしていた父親は日本と台湾を行き来することが多く、母も父について日台を往来していました。両親不在でたった一人家に残された私の面倒をみてくれたのが、この映画と同じメイドさんでした。
 母が日本に行く度に「なんでママいなくなるの?」と泣き叫んでいましたが、メイドさんとの時間が長くなるに連れ、仲良くなり、メイドさんこそ私の一番の良き理解者だという強い絆が生まれていました。
 突然の発熱に夜通し看病してくれたメイドさん。一緒に公園で遊んでくれたメイドさん。大好きな菜脯蛋(干し大根入り卵焼き)を作ってくれて、絵本を読んでくれたメイドさん。メイドさんの腕の中にいつの間にか私の定位置ができ、母が戻ってきても「メイドさんが私のママだったらいいのに!」と思ったこともありました。
 
 映画の終盤で、空港へと去って行くテレサに対して、「行かないで」と言えず、あまのじゃくな行動に出てしまったジャールーの姿に一番共感しました。
 私も、約5年以上お世話になった大好きなメイドさんが家庭の事情で辞めるとき「ふーん」の一言で、部屋に閉じこもった経験があるからです。
 小さかったので、自分の好きな者、自分に関心を持ってくれた者が去っていく現実にどう対応したらいいのか分からなかったのでしょう。いまなら素直に「お世話になり、本当にありがとうございました」「大好きです」と言えるのに、悔やんでも悔やみきれません。

 国土が狭いシンガポールは中華系、インド系、マレー系などいくつもの民族が集まった多民族国家です。超高層ビルが立ち並び、アジアで最も綺麗な庭園都市と言われるシンガポールで生活するのは実はとても大変で、両親は子供のため、家のために働き続けなければならなりません。台湾も国土の狭さや多民族と、シンガポールに良く似た社会状況で、外国人労働者としてメイドは定着しています。
 香港もそうです。
 2011年の香港映画「桃姐」(2012年日本公開「タオさんのしあわせ」)も、一つの家族に入り込んだメイドさんとその雇い主の間に生まれた絆の話で、肉親を越える愛を注ぐメイドさんの姿に涙が止まりませんでした。


 高齢化社会、介護問題、労働力不足と様々な問題を抱えている日本。単一民族の日本社会に、これからどういう形であれ、外国人労働者による手助けが必要になってくる日はそう遠くないと思います。
 血縁関係に勝るものはない、と誰もが口では言いつつも、「遠くの親戚より近くの他人」となることが日本でも多くなってくるかもしれません。

 メイドさんが家族の一員として当たり前のように存在するシンガポールや台湾、香港がどのような社会問題を抱え、どのように成長してきているのか。家族の関係を含め、この映画は私たちに実に多くの見方をさせてくれる作品だと思います。

イロイロ~ぬくもりの記憶 公式サイト