AOYAMA MANDARA PRESENTS READING LIVE 2014
「岸田國士を読む。」


今日、明日に2日公演です。どうぞいらしてください!

岸田國士は、明治、大正、昭和を駆け抜けた作家です。
大きな時代の変化の直中を生き抜き、そこにあるちょっとした情景を、フランス仕込みの見事な感性で、深みのある、それでいてさりげないシーンに描き上げています。

そんな岸田國士の作品群から、今回は戦前の作品と戦後の作品を1編ずつとりあげました。
「留守」/「カライ博士の臨終 ー 人生の最も厳粛であるべき瞬間に、わたくしがもし笑ひの衝動をおさへることができぬとしたら、いつたいどんな罪に問はれるであらう?」
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演出:青柳敦子(テアトルエコー)
出演:高川裕也、一青 妙、落合弘司、小野田由紀子、武田洋、華 みき、粟野志門
演奏:佐野篤
2/7(金)
1st 開場 19:00開演20:00
8(土)
1st 開場 13:00開演14:00
2nd 開場 17:30開演18:30
¥3,800(1drink付き)

場所:南青山マンダラ
〠107-0062
港区南青山3-2-2 MRビルB1
03-5474-0411(受付時間 16:00~22:00)
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「留守」
大正から昭和に変わってまだ間もない昭和2年の作品『留守』です。
登場するのは、二人の女中さん。それに御用聞きの八百屋さんの3人。

ちょうど今公開中の映画「小さいおうち」の物語の発端が、同じような時期ですね。
こちらは昭和5年から始まるストーリーです。
一般に、口減らし、出稼ぎのイメージもある女中奉公ですが、もう一つ「花嫁修業」という役割も担っていたようです。
それなりのおうちの娘さんが、相応のお宅の奥さまのもとに住み込みで奉公しながら、料理、裁縫、礼儀作法、などなど当時の女性が必要とされた様々なことを躾けていただくという教育的な意味合いのご奉公もあったのだそうです。

昭和初期。モボ、モガの時代とはいえ、まだまだ自由恋愛を誰でもが謳歌できるというわけではありませんでした。年頃の若い女性が親元を離れて暮らすとなると、その周りにはいろいろなことが起ってまいります。岸田國士の目は、そんな日常の中から「留守」というキーワードで、ちょっとしたひとときを切り取っています。とてもさりげないんです。でも「ああ、わかる!」という瞬間がちりばめられています。(何がちりばめられているかは……見てのお楽しみに…)

時代は変わっても、人は変わらないのだなあ……と、思います。

女中さんが奉公した、小さいおうちとその周りで、何が起こっていたのか、想像しながら見ていただければ嬉しいです。

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「カライ博士の臨終 ー 人生の最も厳粛であるべき瞬間に、わたくしがもし笑ひの衝動をおさへることができぬとしたら、いつたいどんな罪に問はれるであらう?」

この作品、何と言っても個性的なのがそのタイトルです。
都合上『カライ博士の臨終』とだけ言っておしまいにしてしまうのですが、実はその後にとんでもないサブタイトルがついています。
それがこちら……

人生の最も厳粛であるべき瞬間に、わたくしがもし笑ひの衝動をおさへることができぬとしたら、いったいどんな罪に問はれるであらう?

というもの……。
長いです。びっくりな長さです。
もう二時間サスペンスドラマか!!と見まごうばかりです。

こんなサブタイトルを昭和26年(1951年)に考え出しちゃう岸田國士って、どんな発想力をしていたんでしょうねえ!!? 頭の中をのぞいて見てみたくなります。

ちなみに、世界で一番長いタイトルを持つ映画と言えばこれ。
こちらはDVDのパッケージです。残念ながら日本語版はない模様…
通称「マラー/サド」と省略されますが、このタイトルを全部言うとこんなになります。

マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺

長いです。覚えられません。
いつも「あの長いタイトルの映画」と言ってごまかしてしまいます。(^_^;)
こちらは1964年にドイツで発表されたペーター・ヴァイスの戯曲。
それが1967年にピーター・ブルック監督で映画化されました。

さて、お話を『カライ博士』に戻しましょう。
この物語は、タイトル通り、加来典重という一人の哲学者が臨終の床にある、その周りで繰り広げられるあれやこれやを、これまたさりげなく描いた作品です。

当時の日本はGHQ占領下。
戦前、戦中からあらゆる価値観がひっくり返った大変な時期でした。
……と戦争を知らない世代の私などは簡単に言ってしまいますが、その価値観の変化は、とても大きなものだったことは想像に難くありません。
私の父などは、その頃のことは聞いてもなかなか話してくれません。未だに記憶を呼び覚ますことに抵抗があるようです。それだけのものを多くの人が無理やりに背負った時期。それが敗戦の意味するものだったのではないでしょうか。


そんな中、この作品は戦後の新時代を象徴する雑誌「世界」(岩波書店)に掲載されました。
今も出版されている、この硬派な雑誌に掲載された作品。人間臭い部分をていねいに織り込んでいながら、ホームドラマに陥らない「高さ」感じます。

とはいいながら、堅苦しくならないところが岸田國士の岸田國士らしいところ。
そのあたりは稽古を進めるたびに毎回発見をしては舌を巻いております。

さて、カライ博士の臨終の枕元でとんなことが起きるのか?
どうぞその目撃者となってくださいませ。

(演出家のブログより抜粋致しました)