こんばんは、ちょっと城ブログも放置していました🙇さてさて前回の諏訪の花岡城の次の飯田市のお城を紹介です。


築城  室町時代中期? 座光寺氏

廃城  1590年

城郭  平山城

天守閣  なし

標高   550m      比高  90m


知名度  ★★☆☆☆☆

満足度  ★★★☆☆☆

遺構度  ★★★☆☆☆

疲労度  ★★☆☆☆☆☆


南本城城(座光寺南城)の築城については不明である北本城城と同じく座光寺氏によって築城された説や城跡に馬出しがある事から武田氏によって築城された説や織田信長による武田氏征伐の為に備えて築城された説などがあります。

私は座光寺氏によって築城された説を信じたい。

座光寺氏の出自は源為朝の子大嶋為家が大島を去り信濃伊那郡に住み着つき座光寺村に移り座光寺氏を称したと言われているが、諏訪氏の庶流説、清和源氏片桐氏説であると言われている。

室町時代に片桐為信の三男片桐重慶が座光寺に住み座光寺氏と名のったと伝えられる。1542年に武田信玄が伊那に侵攻した時に武田氏に属したが1554年に座光寺貞信知久頼元と共に反旗を翻した。武田信玄が自ら兵を率いれて鎮圧され知久頼元は処刑され座光寺貞信は生捕にされている。

座光寺氏はその後、武田氏に従っている。1575年に座光寺為清秋山信友に従い岩村城に籠城して織田軍と戦ったが降伏し秋山信友、おつや方、大嶋長利と共に逆さ磔によって処刑された。

1582年本能寺の変により織田信長が死跡、信濃の豪族は豊臣方につくか徳川方つくか決めかねていたが、座光寺為時は徳川方についた。1585年に小笠原貞慶が徳川方から豊臣方に変心をみた松岡貞利の配下の立場であった座光寺為時は伊那郡の郡司菅沼定利に報告し功により400石加増された。1590年に徳川家康が関東に移封した時に上野国に950万石を加増された。その後徳川秀忠に従い関ヶ原戦い上田合戦に参加し関ヶ原戦い後1601年に伊那郡に1000石に復帰し山吹陣屋を建てる。

飯田市中心の飯田城から北に3kmに行くと小さな平山城の南本城城があります。広さし南北370m東西340mぐらいです。その南本城城から約1.5km先に松岡城とお城が連立しています。

松岡城は今回は行っていないがまた行きたいですね。さて南本城城はまずは麻績神社に向かうと駐車場があります。そこから目指そう。


【駐車場】

駐車場は麻績神社の駐車場で30台ぐらい停めれます。何故かバス駐車場スペースも2台ぐらい。

駐車場から麻績神社へ

階段を登って


【登山口】

麻績神社の横が登山口です。縄張り図もあるし🦯もあるしわりと親切です😀

坂道を歩きます。

麻績神社南東曲輪が見えてきます。


【麻績神社南東曲輪】

麻績神社

麻績神社の南東曲輪の社の横から登山道がありそこから登ります。

暑くなってきましたねー💦



【東曲輪横堀】

登山道の横に排水溝が横堀があります。

こちらが横堀、、よい感じに残しています。

横堀を歩いて行くと竪堀②が見えてきます。



【竪堀②】


竪堀②ちょっと薮化しているけどよくわかる

進んでいきます。

別ルートからの登山道と合流して上がるいきます。


【竪堀①】

竪堀①この竪堀を登ると西曲輪に行けます。

登山道を進んでいきます。

分岐点。さてどちらに行こう。

まずは右に曲がって東曲輪へ

東曲輪の道、この道を登り切ったら東曲輪


【東曲輪】

小さな曲輪。

東曲輪の伊雑皇太宮跡、、浜松市に伊雑皇神社があるけど繋がりがあるのか?神社詳しくないからなぁ

また分岐点まで登り、本丸側に行きます。

本丸への道へ

またすぐ分岐点右に曲がって本丸へ

曲がると四阿にあるB曲輪とその下のC曲輪。


【C曲輪】

小さな曲輪で東曲輪の上段の位置にあたります。

さて上の段のB曲輪へ


【B曲輪】

B曲輪は四阿があり、本曲輪の腰曲輪にあたります。

B曲輪から本曲輪の側面を歩いてA曲輪へ

A曲輪が見えてきました😀


【A曲輪】

本曲輪の北西部にあたる曲輪です。

A曲輪から本丸に這い上る道があったので登ります💦

本曲輪の南西部の土塁の上に到着しました。


【本丸(本曲輪)】

本曲輪(本丸)に到着30m×30mぐらいの広さでしょうか?南北西側に土塁が囲まれています。

本曲輪から見る土塁


【本丸虎口】

本丸の北西部に虎口があります。

そこから降ります。

A曲輪に再び降りました

A曲輪から繋がる腰曲輪。

A曲輪からさらに降りてE曲輪に行きます。


【E曲輪】

本丸から2段降りたE帯曲輪。

ここから西曲輪に繋がる道と北曲輪に繋がる道があります。


E曲輪から北曲輪へ行こう


堀切②が見えてきました。


【堀切②】

本曲輪と北曲輪を区切る堀切②

遺構としては個人的には微妙。ここから北曲輪へ

北曲輪に入ります。

北曲輪は大きく上段と下段があり道は真ん中をぶった斬っています。


【北曲輪】

北曲輪、結構広い曲輪。


【北曲輪上段】

北曲輪の上段。奥に土塁があります。探索はしていない💦写真も撮ったはずなんだが、、痛恨な事に残っていない。

北曲輪から少し歩くと堀切①が見えます。


【堀切①】

北曲輪から馬出しに向かって堀切①と馬出しの空堀と土橋があります。

土橋から見る堀切①折れ曲がっているのが良いですね。

堀切①を抜けて馬出しへ

馬出しが見えてきました。馬出しのそばも堀切です。


【馬出】

馬出しは5m×5mぐらいの小さな曲輪です。馬出しと遺構といえば武田氏の城郭遺構。


馬出から堀切②に入って南曲輪へ向かいます。


堀切②を降りて南曲輪へ向かいます。


【南曲輪の道】

南曲輪の道❶

南曲輪の道❷

分岐点、右側へ進む

南曲輪の道❸

南曲輪の道❹

南曲輪が見えてきました。


【南曲輪】

南曲輪には古賀比神社跡があったとされ

古賀比神社とは「蚕飼」する人々の豊蚕を願って祀られた神社と言われ1935年に建立されたそうです。

30m×20mぐらいの広さかな。


鳥居だけ残っています。

南曲輪から西曲輪へ向かいます。

土砂崩れ場所も舗装されています。こういうのもありがたい。

西側に進んで行きます




また分岐点に戻って再び本丸、西曲輪側へ進みます。


この道は2度目😀

また分岐点。一回目は右に曲がったが今回は左側に曲がります(笑)

A曲輪の下の帯曲輪を歩きます。ここらへんはD曲輪です。


【D曲輪】

A曲輪の1段下の位置にあります。

D曲輪から西曲輪に繋がる道があります。

D曲輪から西曲輪へ行きます。

竪堀①を横切って西曲輪へ


【西曲輪】

西曲輪は小さな曲輪です?

西曲輪の奥に「秋葉社跡」とかいてある。

秋葉社とは「秋葉権現」からきていて、火伏、火防の守護神として信仰されてたものと言われているからそこからきたのかな。

西曲輪から竪堀①に降りよう。


【竪堀①を西曲輪より】

西曲輪方面から竪堀①を一気に降ります。

見た目以上に急坂で転ばない様に💦

竪堀①を降りたら、最初に訪れた登山道が見えてきました。

南本城城は以上で終わります。

地元の人の案内整備はありがたいお城でした。