こんばんは、桜🌸の満開のこの季節。
桜とお城のコラボ撮りたいけどなかなかいけず、、
なんとなく体力不足と感じながら日々楽しんでいます。

では写真だらけの城ブログスタート❗️


【丹波今宮城】

築城  1496年    川勝光照

廃城  1601年

城郭  連郭式山城

天守閣  なし

標高  425m      比高  215m


知名度  ★☆☆☆☆☆

満足度  ★★★☆☆☆

遺構度  ★★★☆☆☆

疲労度  ★★★★☆☆☆


今宮城聖徳太子の家臣で山城国の開発者と知られる秦河勝の子孫の下田広氏の子川勝光照(広継)の築城したと伝わる。川勝光照の父下田広氏は室町幕府将軍足利義材、足利義澄に仕え川勝光照は室町幕府将軍足利義晴、足利義輝に仕えて後に北桑田郡の支配下に勢力を拡大し1530年代には本拠地を島城に移し八木の守護代内藤氏、京北の宇津氏、篠山の波多氏などと、丹波国の勢力と対峙した。

川勝光照が1572年に亡くなると子川勝継氏足利義昭に従っていたが足利義昭と織田信長と対立すると織田信長に属して細川藤孝に従い古淀城攻めに参加している

1576年以降は明智光秀の与力となり丹波攻略に貢献した。1582年の本能寺の変には明智光秀に従わず川勝継氏の子川勝秀氏羽柴秀吉に従い以後は豊臣秀吉に従う。1600年の関ヶ原戦いの時は西軍に川勝秀氏と川勝広綱は属して田辺城攻めに参加したが細川忠興の取り直しで改易は免れ、1601年に兵庫県氷上郡に移封となり今宮城も廃城となったと考えられている。


今宮城は京都から小浜市に繋がる国道162号線の周山街道沿いにある城で重要な要衡の場所と考えられている。ちゃんと駐車場もあり登山道も整備されているもののツヅラ折り道が永遠に続き少し疲れます。


🅰️ポイント

国道162号線からの今宮城の看板が見える

看板の先に小屋があり今宮城の案内がある。

奥の山城が今宮城

さらに奥へ進むと

駐車場があります。


【駐車場】

今宮区集合センターここに4台ぐらい駐車できます。

この集合センターの裏側から登山口へ向かう。

木橋を渡り左側に曲がると登山口があります。


【登山口】

いつもの獣柵、ここから比高215m頑張るぞい💪

今宮城登山道①

今宮城登山道②

目の前に墓が見えますがそこを右に曲がる

今宮城登山道③

ここは坂道がないから不安になる(−_−;)

今宮城登山道④

獣網の横を歩く🚶‍♀️

今宮城登山道⑤

ここから登る。間違えない様に😅

今宮城登山道⑥

ここから九十九折りの道が続く。

今宮城登山道⑦

今宮城登山道⑧

今宮城登山道⑨

今宮城登山道⑩

今宮城登山道⑪

今宮城登山道⑫

今宮城登山道⑬

今宮城登山道⑭

景色を見て登っている実感を楽しむ。

今宮城登山道⑮

九十九折りの道は続く…もう少しだ。

今宮城登山道⑯

今宮城登山道⑰

虎口が見えてきた。

竪堀を登ってみたいだ😀


【木戸口曲輪】

10m×5mぐらいの広さでありここから段郭が続く

ここから二の丸までA曲輪〜H曲輪段郭が続く。

G曲輪.日当たりの良い所は藪化している。

F曲輪

E曲輪.堀切が見えて来ました。


【堀切】】

E曲輪とD曲輪の間の堀切。浅いがよくわかる。

堀切を別の角度から撮影。

ここから少し登る。


【D曲輪】


D曲輪からC曲輪


【C曲輪】


C曲輪からA曲輪まで見える


【B曲輪】


B曲輪とA曲輪の段差


【A曲輪】


A曲輪から二の丸へ登る


二の丸虎口に見える


【二の丸】

33m×15mの広さで今宮城の曲輪の中では一番広い

二の丸その2

二の丸の側面にI曲輪がある腰曲輪かな。


【I曲輪】


二の丸から本丸へ


約10mぐらいの高さに本丸が見えてきました。


【本丸】

21m×20mぐらいの広さかな。

本丸に到着\(^^)/

小さな石碑があります。

石碑よりこっちの立て札の方がよいな


【本丸土塁】

本丸の北側と西側には土塁があり。西側の土塁は高さ2mで櫓台みたいな跡があります。

本丸の奥に虎口がありここから四重堀切があります。


【四重堀切】

ここからは四重堀切で明瞭に遺構が残っています。


四重堀切❶

四重堀切の中で1番深い。

四重堀切❷


四重堀切❸❹を縦から撮影。


四重堀切❸❹を横から撮影。


四重堀切❸


四重堀切❹


以上で今宮城は終わりです。