で締めます。若山城は全国にいくつかあるので別名富田若山城と書きます😅
山城を多く訪問している私ですが…
やはり登山は得意ではないので車🚗で山頂近くまで行けるなら行きたいタイプです。
今回の若山城もそのタイプのお城で決めました。
築城 1470年 陶弘護
廃城 1557年
城郭 連郭式山城
天守閣 なし
標高 217m 比高 195m
知名度 ★★★☆☆☆
満足度 ★★★☆☆☆
遺構度 ★★★☆☆☆
疲労度 ★★☆☆☆☆☆
14世紀中頃、陶弘政が吉敷郡陶村より都濃郡富田保に移った。陶氏が富田保に入部したのは、同郡ワシ頭庄(下松市)を拠点としていた大内氏庶流の鷲頭氏への対抗とされており、若山城の築城はこの際に行われた説がある。1470年応仁の乱で大内政弘が西軍の将として京都に出陣中に大内政弘の伯父大内教幸が東軍に通じて反乱を起こした。吉見氏などの石見国の国人もこの乱に呼応したため、大内領国の守りに就いていた陶弘護が防備の為に若山城を築いたとされる。陶弘護は大内教幸を破り反乱をちんあつし、後年宴の席で吉見信頼を暗殺した。
1550年に主君大内義隆と対立した陶晴賢が謀叛に備えて城の修築を行った。1551年陶晴賢が若山城にて挙兵して山口に襲撃して大内義隆を自害に追い込み大内義長を擁立して陶晴賢が実権を握った。
1555年に安芸国から毛利元就が厳島戦いにて陶晴賢に大勝、陶晴賢が自害すると若山城を守る陶晴賢の子陶長房の所に陶晴賢との遺恨がある杉重輔が手勢200軍勢で若山城の三の丸を占領された。陶長房は城から脱出したが追撃され自刃した。
同年より毛利氏の防長経略が始まり、1557年陶長房亡き後は陶氏の遺臣が若山城を守っていたが毛利氏の降伏勧告に応じたため長屋小次郎を城番まとして城兵200余人で守備した。そこに山口方面より陶方の兵2000余が押し寄せ、降伏した遺臣もこれに呼応し城内に火を放ったため落城となった。その後まもなく廃城。
陶晴賢と言えば大河ドラマ【毛利元就】で陣内さんが演じていましたね。
大河ドラマの武将はイメージドラマで陶晴賢はずっと自分の中ではこんなイメージ。
若山城のドローン動画を見つけたので貼り付けて↓
若山城は山口県の南東部にあり周南市にあるお城です。アクセスとしては国道2号線からすぐ案内があり二の丸・三の丸まで車で可能です。
登山口の近くにも3台ぐらい駐車スペースがありそこからもハイキングできそうです。
山口県側だと左折ですんなり入れそうですが広島県側だど右折しないといけない。登山口は信号ない橋だから少し気をつかう。
登山口は3台ぐらい駐車スペースあります。
ここから三の丸まで約2kmで到着します。
歩くと1時間ぐらいかかりそうだから車🚗で三の丸まで…ちょっと狭い道だけど、、遠征は時間が惜しい。
若山城登山道❶
道路は舗装されているがとにかく対向車だけは来ないでくれ(願い)
若山城登山道❷
時よりハイキングで歩く🚶♀️人とすれ違う💦
なんか車で上がるのに罪悪感がある。
三の丸に一気に到着😅
余湖くんのお城ページの鳥瞰図の若山城イメージ
【三の丸】
三の丸は細長く100m×20mぐらいの広さで武士溜まりができるイメージ。ここからの景色は良さそう。
三の丸からの瀬戸内海、徳山湾が見える。
近くには山陽自動車道、登山口は山陽自動車道の反対側になります。
細長い三の丸の奥はこんな感じでサクッと撮影。
【二の丸】
三の丸と二の丸の区切りははっきりせず。
この道路側が二の丸だと思う。
登山口からの道路がここでUターンしたスペースが二の丸かな。少しだけ三の丸から段差で下がった位置が二の丸と判断している。
二の丸から本丸に繋がる道があります。
ここからの本丸は比高は50mのイメージです。
本丸への道に入るとすぐに分岐点。どちらからも本丸に着きます。まずは左側から登ります。
段郭の側面を歩きます。
【段郭】
二の丸から本丸の間は約10段ぐらいの段郭があり2m×5mぐらいの小さな郭があります。
段郭を上から撮影。もう少し草刈りして欲しい😅
本丸の道、階段がしばらく続く
歩きやすい階段なのに息ぐハァハァ😨
鳥居⛩が見えてきました。これを潜ると本丸へ
【本丸】
本丸に到着\(^^)/
本丸に到着40m×20mぐらいの広さかな。
本丸の中心部に灯籠がある。
石碑があるが【若山城】の文字が見えない。
本丸から良い景色が見れそうだ。
本丸からの瀬戸内海。よい絶景だ。
本丸から西の丸へ進みます。
西の丸の道❶
かなり急激な下る道、雨上がりて滑りそう😰
ここでは滑らなかったけどこの次の荒滝山城で滑りまくりました😵
西の丸の道❷
西の丸の道❸
西の丸の道❹
帯曲輪が見えてこの先が西の丸です。
西の丸と石垣が見えてきました。
帯曲輪から西の丸の段差は約1mその隅と側面に石垣が残っています。
西の丸の北東の隅石垣。貴重な遺構。
石垣を別の角度から撮影📸
【西の丸】
西の丸は40m×20mぐらいの広さです。
西の丸の奥
西の丸の西側な2段の段郭になっています。
西の丸下段から西の丸は約2mぐらいの高さがあるなぁ
西の丸から蔵屋敷へ
【蔵屋敷】
50m×20mぐらいの広さかな。名前からして倉庫があったのかな?
蔵屋敷から本丸に戻り本丸の北側に戻ります。
本丸の北側の帯曲輪から畝状竪堀群へ
【畝状竪堀群】
本丸の北側には畝状竪堀群があり、どんな状態かなと思ったけど。
う〜んヤブ化で微妙😰
畝状竪堀群は残念だったが、本丸の登りと反対側を降りていきます。
段郭を別の角度から
分岐点に戻って来ました。
以上で富田若山城は終わりです。
車な戻り、また狭い道を気をつけてながら帰ります。
これで山口県城巡りシリーズは終わりです。
あと一つおまけなお城が一つ次回に載せるかちょっと検討中。