【勝山御殿】
築城 1863年 毛利元周
廃城 1873年
城郭 連郭式平城
天守閣 なし
標高 90m 比高 15m
知名度 ★★★☆☆☆
満足度 ★★★☆☆☆
遺構度 ★★★☆☆☆
疲労度 ☆☆☆☆☆☆☆
勝山御殿は且山城の麓に築かれた長州藩支藩の長府藩主の居館。1863年5月から、長州藩は関門海峡を通過する外国船への砲撃を開始したが、その後6月にフランス軍艦の報復攻撃を受けた(下関戦争)それまでの櫛崎城(長府藩邸)は関門海峡に近接した海岸沿いの場所にあったが、情勢が緊迫する中、藩主毛利元周が藩邸を内陸に移す事を決定した。1863年の6月28日から翌年にかけて突貫工事より勝山の麓に勝山御殿を築いた。工事には長府藩領内の男女が総動員された。1864年2月1日には長府藩主の居城となったが、明治になり入っても豊浦藩庁として利用されたが1873年に解体された。
勝山御殿は下関市の関門海峡から約8km離れている場所にあります。
国道2号線の滑石交差点を右折して約2.3kmを進んだコンビニ🏪を右折して1.1km(少し狭い)先に勝山御殿の駐車場があります。
【駐車場】
駐車場は二の丸横に3台、本丸横に15台ぐらい駐車場スペースがあり、私は二の丸横に駐車しました。
【三の丸】
三の丸の広さは南北30m東西70mぐらいの広さかな。遊具が置かれています。
三の丸の東側には四阿があり大手に向かいます。
【大手口】
階段を降りて大手口へ
大手口の石垣(東側)大手門があったのかな?
三の丸の東側石垣
高さが2mぐらいかな。
三の丸西側に向かう
三の丸の西側は約5mぐらいの高石垣があり横矢の構造がある。
横矢の石垣。結構巨大な石も重ねています。
三の丸の西側の石垣。約3mぐらいの高さかな。
三の丸から二の丸へ
三の丸の北側は道路になって崩されいます。
二の丸には石垣は石列みたいに低い感じになっています。
【二の丸】
南北40m東西60mぐらいの広さかな。
二の丸には建屋がなくいくつかの砲台があったとされます。
二の丸からは本丸(表)の石垣があり高さは7m〜8mぐらいあります。
二の丸の北東の石垣と池跡?昔からあったのか、公園化されて作られたのかは不明。
池跡?どうなんだろうか🤔
本丸(表)の渡り階段の石垣。
本丸(表)西側の石垣。
本丸(表)に登ろう。
【本丸(表)】
南北100m東西60mぐらいの広さでデカい。
あっゲートボールやっている。邪魔しない様に外側を歩く🚶♀️もっと探索したかったけど仕方がない。
勝山御殿の東側が…探索出来なかった。
本丸御殿の御殿配置図です。
【本丸(表)通用口】
本丸(表)の西側には桝形の通用口らしきな跡がありきっと通常はみんなここから出入りしていたのかな。
通用口を出て勝山御殿の西側に出ました。
勝山御殿の西側の石垣
【本丸(表)南西隅石垣】
ここが石垣が1番高い部分😄
【本丸(表)と本丸(奥)の石垣】
本丸(奥)の石垣は小さな石🪨で重ねられています。
通用口からまた本丸(表)へ
本丸(表)の北西部へ
【本丸(表)北西部】
ここから本丸(奥)にいけると思ったが行けなかった😨本丸(表)と本丸(奥)の間には水堀があったとされています。
【本丸(奥)の石垣と渡り廊下付近】
本丸御殿の(表)と(奥)は渡り廊下で繋がっていたとされる。石垣の高さは2mぐらいかな。
【本丸(表)から本丸(奥)の道】
ここは改変されている感じです。
階段を登り本丸(奥)へ
【勝山御殿本丸(奥)】
南北50m東西60mの位の広さで藩主の住居地区される。
本丸(奥)の南側はステージになっていて、木の腐敗があるのか?立ち入り禁止となっていた。
本丸(奥)の北西部に四王司山城の登山口があり
最初の予定では勝山御殿→且山城→青山城に登る予定だったけど急遽変更で四王司山城に登ることに。
以上で勝山御殿は終わりです。
さすが…立派な石垣でしたね。
さてここからは山登り😓