こんにちは今日は朝から雨☔️
飛騨・越中城巡り第8弾と行きたいところだが…今回は東広島城巡りも混ぜてブログを上げやすい方から載せていこうと思います。

山城巡りは冬場が一番良いとされていますが…もちろん欠点もあります。
まず日没が早い事。今だと17時までには終了させないといけません。
なかなかね難しいね。

今回は楪城。登山道は圏外です。何気に怖い。

ユーチューブに動画があるんですね。

【楪城】

築城  1337年  新見氏
廃城  1600年
城郭  連郭式山城
天守閣  なし
標高  500m  比高  250m

14世紀の南北朝時代に新見氏が軍事拠点として築城したとみられる。新見氏は京都の権門勢力との関係を持ちながら荘園の支配権を高め、16世紀に入ると新見国経が当主となって戦国大名の尼子氏に属し、近隣の国人の多治氏や三村氏と対抗した。
1567年になると安芸国の毛利元就に属していた鶴首城三村元親に攻められ落城して新見氏は断絶する。三村氏はこの城を拡張し、付近の支城も整備し、城主に三村元範が充てられた。備中松山城主となった三村氏は宿敵て備前を本拠地宇喜多直家毛利輝元と連携したきっかけに毛利氏を謀反1574年から1575年にかけて小早川隆景をはじめとする毛利氏に攻め滅ぼされ、三村氏の北拠点楪城も2万の大軍に囲まれ三村元範も戦死した。
その後毛利氏の家臣今田経高天野勝元が入城して関ヶ原戦い後毛利氏の減封により廃城。

楪城の位置は備中松山城から北北西に約50kmの所にある。

標高は500m比高は240mまあまあの山城です。
私は搦手から攻めたのだけど、後々を考えたら大手から攻めた方が良かったのかも。


国道180号線🅰️の地点に楪城の登山道入口の小さな看板がある。

集落への道。狭い道で対向車来たら嫌だなぁ〜と思いながらすすむ。

1.4km地点に分岐点は右側に降りる。
本能的に真っ直ぐ行きそうになる。

道は狭く一旦降ってまた登る

2〜3台分スペースの駐車場あり。

搦手の登山口。
本丸まで700m

楪城搦手登山道❶
登山道は整備されているコンクリートの道に枯葉が溜まり滑りやすい(笑)

楪城搦手登山道❷

楪城搦手登山道❸
あと本丸まで350m

楪城搦手登山道❹

楪城搦手登山道❺

楪城搦手登山道❻
あと本丸まで230m

楪城搦手登山道❼
この写真で登り切った後が本丸。


楪城の城郭は連郭式山城で本丸から三の丸までかなり長く約1kmぐらいある。
こんなに長い曲輪とは想定外。

①〜⑨までの撮影ポイント。


①本丸一の壇入口付近。


②本丸一の壇。


②本丸二の壇の道。

③本丸二の壇入口。

③本丸二の壇。

③本丸二の壇と三の壇

④本丸三の壇へ

⑤本丸三の壇南側と花の丸虎口付近の曲輪。

本丸三の壇の道

⑥本丸三の壇の虎口付近。

⑥本丸三の壇
72m×36mの広さの曲輪を誇る。

⑥本丸三の壇南側

⑥本丸三の壇から見下ろすと本丸四の壇が見える

楪城の石碑。


⑤ポイントを横切り花の丸へ

花の丸の説明板。
ん?出丸かと思ったら捨て曲輪だったのか?

⑦花の丸の虎口。

⑦花の丸。捨て曲輪にしては小さくない。

⑤ポイントに戻り花の丸から本丸四の壇へ。

本丸四の壇へ進む。

⑧本丸四の壇。
小屋があるがどうやらお手洗い。

⑧二の丸には帯曲輪にて連結しています。

ここからは❶〜❾までの二の丸を中心に撮りました。


❶帯曲輪と二の丸の境目。

❶二の丸の入り口

❷二の丸一の壇の階段。

❷二の丸の一の壇の曲輪。

❷二の丸の一の壇から二の丸の二の壇へ進む。

❸二の丸二の壇

❸二の丸から見る街並み。


❷の二の丸入り口を降りて側面の道へ進む。

❹二の丸の横の道を進む。

❺二の丸の二の壇の切岸

❺回り込んで二の丸三の壇へ

❻二の丸の三の壇。

❻二の丸三の壇の奥から

❼三の丸への道①

❼三の丸への道②

❼三の丸への道③

❽三の丸への道④

❽三の丸への道⑤

❾三の丸への道⑥

❾堀切。三の丸と二の丸を結ぶ所にあり。

さらに奥へ続く


三の丸の曲輪群
ここら辺は雑になり、先が不安(日没が近くなり)が頭によぎり危機を感じた為に引き返す(スマホ圏外)

以上が楪城でした。
だれか三の丸のレポート頼む。