北関東城巡り5城目は館林城
今回はちょっとスカスカの城ブログですm(_ _)m
あまり遺構がないから丁寧さも欠けます(笑)

館林城


群馬県の南東部

【館林城】

築城  1530年  赤井照光
廃城  1874年
城郭  梯郭連郭複合式平城
天守閣  なし
標高  20m  比高  0m

築城に関しては江戸時代になって書かれたものの中に赤井照光によって築かれたとするものがあり現状最古の古文書には1471年に上杉軍が赤井文六、文三の居城である立林(館林)城を攻略したという記録である。
その後、越後上杉、甲斐武田、相模北条の三つ巴の攻防の中にて長尾氏や北条氏が支配する
1590年に徳川家康が関東移封に伴い徳川四天王の榊原康政が10万石にて城主になった。
江戸時代になり榊原氏が陸奥白河に移封になり大給松平氏6万石に繋ぎ
1661年より徳川綱吉が25万石に入り拡大された。
徳川綱吉が将軍となり松平清武が入ると城は縮小再築された。

太田氏ー越智松平氏ー井上氏ー秋元氏と続き明治にいたる。



江戸時代の絵地図
当時は城沼に囲まれた浮城であった。



三の丸

三の丸と約3mほどの土塁

奥に門が見える

三の丸の土橋門
1983年に復元された門で。門前の内堀にかかる通用門として使われていた。

土塀と井戸跡?も復元されている。

土橋門を正面から

土橋付近の土塁の上に土塀が復元。

三の丸の内堀跡

二の丸
市役所になっており遺構もなにもない。


二の丸橋
二の丸の南側付近

御厩曲輪と城沼
馬場と馬小屋があったのかな?城沼は川の様になっているが昔はもっと広い沼地だった。


本丸
東西180m南北50mの広さだが本丸と御厩曲輪の堀も埋められてくっついた形なのでかなり広くなっている。

本丸その2
奥に土塁が残っている。

本丸土塁


八幡曲輪
東西75m南北90mでいまは菖蒲園として綺麗な花が咲いています。


城沼に繋がる鶴生田川

城沼
東西3.8km南北0.2mという湖沼である。かつてはようようたる水が蓄えられていたらしいが今は水深1.5mぐらいらしい。

旧秋元別邸、最後の藩主の秋元氏の別荘だそです。



八幡宮
築城時に赤井照光によって勧進されたと言われています。