甲信越北関東城ブログ
第6弾は坂戸城。
キツイ山城である。この城を下山したあと足がガクガクになりました。新潟県では有名な城だし元気にあるけるうちに頑張ろうと思い挑戦。
登山片道90分以上かかりました^_^

坂戸城


【坂戸城】

築城  1362年  長尾
廃城  1610年
城郭  山城
天守閣  なし
標高  634m  比高  460m

南魚沼市には上田荘があり鎌倉時代には清和源氏の新田氏一族の勢力下にあって荘の中心とする坂戸山に城郭が築かれていたと推測されているが本格的な造営は南北朝時代からである。

南北朝時代に越後国に上杉憲顕が守護に任命されたが、観応の擾乱にて高一族を滅ぼしに関わり足利尊氏の怒りに触れ守護職を剥奪されたが、足利義詮の時1362年に復帰した。
その時に上田長尾氏が坂戸城を築城し関東管領の越後国内の被官として代々継いでいた。

関東では1416年上杉禅秀の乱、1438年永享の乱、1454年享徳の乱が相次ぎそれにともない上田長尾氏の長尾房長が坂戸城を本格的にな山城に改修してきた。

戦国期に入り1507年に越後長岡氏長尾為景は越後の国人衆と結託して、守護上杉房能を排斥し、1510年に関東管領の上杉顕定も長森原の戦いにおいて戦死させて越後国を支配した。
1543年に長尾為景が死去したあと子長尾晴景が継いだが1547年に長尾晴景の弟長尾景虎(上杉謙信)と争いが起きた時に上田長尾氏長尾房長の長尾政景は長尾晴景側についていて結局1548年長尾晴景の隠居により長尾景虎が継いだ。長尾晴景側だった長尾政景は長尾景虎に反旗をひるがえし1551年に長尾景虎に坂戸城を包囲され降伏した。

上杉謙信支配になったが1578年上杉謙信が死去して1579年に長尾政景の子上杉景勝上杉景虎の後継者争いが起こり上杉景虎の兄北条氏照・氏邦関東三国峠より攻めて坂戸城を包囲したがなかなか落ちず冬が近づき雪で攻略が厳しくなり撤退している間に上杉景虎が敗れ上杉景勝の勝利に多いに貢献した。
その後は直江兼続が城主になり管理されたが1582年に織田信長による越後侵攻に際に関東から滝川一益が坂戸城を囲んだがこれもまた持ち堪えている本能寺の変が起こり豊臣秀吉に時代に上杉氏は会津に移封になり堀直寄が2万石にて入ったが1610年に長野飯山に移り廃城。

関東からの新潟の玄関口に当たる坂戸城。


坂戸城の航空写真



坂戸城が見えてきました。


駐車場は坂戸山の麓に停めて登山口へ向かう。

魚沼川を外堀がわりとしてその間に内堀を作った。
内堀跡

内堀跡その2


登城口にきて看板に登山コースの地図がある。
比高460mだからなぁ〜

コースは基本的に3コースあります。

①坂城コース(大手道)
ツヅラ折り登り距離は約2800m(主水郭回る)
道が狭い、傾斜がマシ、館跡が先に見れる。

②薬師尾根コース
尾根道で3合目から階段が続く距離は約2000m
道は整備されているもののとにかくキツイ。

③寺ヶ鼻コース
わからないけど搦手道ではないかな?
距離は長そう3000mぐらいありそう。

坂城コースから登る


家臣屋敷跡その1

家臣屋敷跡その2

緩やかに登る


しばらく進むと石垣の石がゴロゴロと固められている。看板には江戸時代末期に運びだされたもので石垣の修復用に置かれているらしい。


御屋館跡
石碑と石垣

上田50騎発祥の地


御屋館の石垣
大きい石を4段ぐらい積み上げている。

新潟の城では貴重なもの。

御屋館跡の道を進む


林道を緩やかに歩く

ここから林道を外れゆっくり登っていく
傾斜はきつくないがダラダラと上がる

時折振り返ると登っているのがわかる。

坂城コースはここから本格的に上がるみたいだ

道幅は広くないがトレッキングコースになっているみたいなので道はわかる

坂城コース①

坂城コース②


時折また振り返る
でないとメンタルが(笑)

坂城コース③


また振り返る
ちょっとずつ高くなっているのがわかる。

坂城コース④
5合目近くに湧き水かかわらないが水が湧き出てホースに繋がれていたのでタオルを水に浸し顔を拭く。

坂城コース⑤
やっと日陰が出てきた。

おおっ比高250mぐらいかな。
普通ならこの辺りが山城の頂上なのに。

坂城コース⑥

坂城コース⑦

坂城コース⑧

坂城コース⑨
分岐点、まっすぐは主水郭は副郭扱いなのでそちらに目指す。多分実城を目指すと桃木平が見れると思われる。

山道を進む


なんか開けた感じになってきた。

主水郭到着\(^^)/ 
ここで標高550m  比高380m

主水郭からの景色
おおっ水田が広がる

奥の山はまだ雪が残っている。
2000m級の山脈

ここから実城を目指す
まだ80mの比高がある。

坂戸城②へ続く。