ふぅ〜愛知杯はイマイチだったかぁ
こんにちは今年の城巡り4弾目は北畠氏館跡。
続100名城に選ばれた多気北畠氏城館。霧山城とセットとされていますが、今回は分けて載せます。
【多気北畠氏城館】
築城 1342年頃
廃城 1576年
城郭 館跡
天守閣 なし
南北朝時代初期に北畠氏の拠点であった伊勢国南部にあった平地の城が次々と落城し北畠顕能は大和南朝の本拠地吉野と伊勢神宮の交通の要所多気地区に築城した。南朝は一時北朝に追い込み解体しかけた事もあったが
正平年間(1346年〜1370年)に入り南朝の主力は北畠氏と楠木氏だけになり衰退し。
ついに1392年に明徳の和約にて南北朝統一した。
しかし北朝側は1412年に称光天皇に譲位して約束が反故にされそれを不服として北畠満雅が挙兵し反乱したが1429年に足利義教に討ち取られてしまったが、以後も北畠氏も相続されて以後も多気を中心勢力を持ち続け戦国大名へ成長されていった。
しかし1569年に織田信長により伊勢侵攻が始まり
一時織田信雄を養子として和睦したが、1576年に織田信雄は三瀬御所を襲撃し北畠具教と一族を暗殺しその直後豊臣秀吉、織田信孝、関盛信により大軍を送り込まれ館は焼き払われてしまった。
上記の地図によると吉野と伊勢神宮の中間の交通の要所とはいえかなり山の中、住所は同じ津市だが津城より30kmほど離れている。
北畠氏館は北畠神社として残っていて神社の駐車場に停めて神社へ向かう。
紅葉🍁に季節にいけば(笑)
北畠晴具の義父細川高国が作ったとされている
北畠具行→1332年、北条氏に静粛
北畠満雅→1429年、足利義教に静粛
北畠具教→1576年、織田信長に静粛
を弔うもの