お城シリーズ128回目は久々の岡山のお城
天神山城。
きっとろくもんさんも登るだろうと思う山城(笑)

天神山城って名前、かなり多いね
埼玉、東京、富山、新潟、鳥取、岡山は知っているが…
今回は備前の天神山城。




【備前天神山城】

築城  1554年  浦上宗景
廃城  1575年
城郭  連郭式山城
天守閣  なし


浦上氏は室町時代に赤松氏の守護代を務めた宿老出会った。浦上村宗は守護赤松義村に疎んじられた為に1521年赤松義村を暗殺して下克上を起こしたが、赤松氏の傀儡の守護を立てて裏で掌握するぐらいの事しかできず苦悩していた。
1531年中央政権から逃げてきた細川高国と手を結んだ為に、浦上村宗は細川高国と共に大物崩れにて戦死してしまった。
後を継いだのが子浦上政宗(軍師官兵衛に出てきましたね)が継ぎましたが、

1551年に尼子晴久の侵攻に対し毛利側につく弟浦上宗景と尼子側につく浦上政宗と対立。
尼子晴久

浦上宗景が独立し1554年に天神山城を築城。
毛利氏を支援を元に尼子・浦上政宗連合軍を攻めて撃破して備前を支配した。
1564年に浦上氏が毛利氏から独立した。
1569年に浦上宗景の家臣であった宇喜多直家織田信長赤松政秀と結び謀反を起こしたが、赤松政秀は対立する小寺氏の家臣黒田官兵衛の奇襲で大敗、織田信長の支援者も越前侵攻の為に戻され、孤立した宇喜多直家は一旦降伏した。
1574年に浦上政宗の孫の浦上久松丸を擁立し再び浦上宗景に反抗し今度は浦上宗景側の国人を切り崩し浦上氏と対立関係であった毛利氏と手を結び天神山城を攻めて1575年に落城廃城になった。
浦上宗景は逃亡しその後消息不明。


備前天神山城は岡山県東部の以下の場所。

そして天神山城の上空写真。
登城方法はA〜Dの4カ所。
通常はAかBが通例なんでしょうが…1番楽なのはCコース。
和気美しい森のキャンプ施設から登城が楽かも。

美しい和気の森のキャンプ場から
冠木門みたいなところから登城。

撮影ポイントは①〜⑤



①キャンプ施設事務所
すこし城風?

①天神山まで約1km

②登城口の石碑

②登城口、やはり奥は獣防止柵

③キャンプ施設が高地にあるので平坦な道を進む。この日はかなりの雨。


④土塁と書いてあるがあまり整備されてなく分からず
⑤堀切


⑤堀切の撮影技術がなくあまり目立つ堀切ではないけどなんとなくわかる。

撮影ポイント⑥〜⑫


⑥郭
と書いているが整備されていない
⑦旧本丸
昔の主郭であったところみたいですこし削平している曲輪。


⑧だんだんと大きな石が散乱している。

⑧石門

おおっデカイ石門。
⑨軍用石
石垣はここから削ったり、自然の石を防衛に使ったのか?
⑨軍用石群
⑨軍用石石碑
石の群をしばらく抜ける
雨がキツイ☔️
⑩太鼓丸の石積み。
⑩太鼓丸
⑩太鼓丸の曲輪
案内地図の看板が倒れている
台風の影響やろか?( ̄∇ ̄)

⑩景色も雨で見えない(涙)

太鼓丸から急激に下降。
滑らない様に
⑪上の石門。
石が並ぶ
⑫下の石門

天神山城の旧城部分はここまで
次は新天神山城部分。